ビフィダス牧場

サークルyogurt、ビフィダスの活動報告場です

ビフィダスです。
この度、私の短編「アカネおばさんとオレ」(第二単行本『イビツな愛の巣』(本の情報はこちら!)収録)のヒロイン、
アカネおばさんが、フィギュアとなってエイプラス様より発売されることになりました。予約開始です!
新村アカネ01
アカネおばさん、黄色いキャミソールにジーパン半脱ぎです。
9月末発売予定です。予約してね!
通販サイト…
amiami様 getchu様 とらのあな様 駿河屋様
ご紹介サイト…
アニゲーハック様https://anigehack.com/info/goods/?item=52332
Moeyo.com様https://www.moeyo.com/article/112511
電撃ホビーweb様https://hobby.dengeki.com/news/1026510/
アカネおばさんって?
チラシ
田舎の実家に住んでる三十路の叔母さんで、周囲に結婚をせっつかれている中、フラフラはぐらかしている人だ。主人公はこのおばさんに告白する。というお話。
当時、ネームを見せた段階で編集さんに「鳥肌立ちました」と唸られた内容で、雑誌でも単行本でも人気を博したヒロインだよ(ザ・手前味噌)。
詳細紹介。
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アップ。顔の凛々しさを見て。
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お尻がでかいんだ。
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当然キャストオフする。
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ジーンズを脱いだ座り姿勢にもなるよ。

あ、下のおけ毛は、シールで追加できるんじゃよ。忘れちゃいけない。


ことの顛末を振り返るに、
フィギュア化のお話は、イビツな愛の巣発売後のどこかのタイミングでオファーが来ていた気がします。
参考資料として全身図を描いたり、あれこれしたり、あれこれして、楽しかった覚えがあります。 
おもしろいことに「デフォルトの状態では局部を隠していたい」という条件があり、
とはいえアカネさんはシンプルな服を着ているので、造形の方には大変なご苦労をかけたことと思います。
また、商品化に際し、アカネおばさんに苗字がつきました。新村アカネさんです。
よろしくね! 

…あ、アカネおばさん、漫画にも帰って来ます。 

エロ描く方のビフィダスFです。
6月17日発売、コミック失楽天様にて、雑誌の表紙と新作を描かせていただきました。
「夜間補修」。
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教卓に腰掛ける主人公。
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夜の公園で出会ったくたびれたお姉さんと悩める男子。
将来を不安視する女と男が出会い、互いに足りないものを補い合うお話。
二人はどうなっちゃうのか。よろしくね!
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昔、地元の自動車教習所に通っていた頃、こんなことがあった。

自動車教習所の科目講習(というのかな、つまり教室での授業ね)は、けたたましいブザーと共に最初に教官が来て、半分くらい黒板とか教科書で講義を進めた後に残り半分で20分くらいの教材ビデオを流し、終わりぎわにまた教官が来てハンコ押して終わる(んだっけ)みたいな形で進む。
教習所は普通の学校と違い、参加者は「免許が欲しくて教習料を払った」という人たちばかりだし、もし授業をまともに聞いてない奴がいてもどうせその後の免許取得試験をパスしなければ困るのは本人な訳だから、こういうビデオ授業での放任みたいなことがある程度許されるのだろうし、教官も様々な層の集まる受講者に対し綿密な干渉はしない感じであった。

そんな放任的な世界の中で、ある時、教官が珍しく受講者を叱ったことがあった。
 
講習開始時、前の方の席で、爆睡している若者(ヤンキーな感じ)がいたのだ。 
見かねた教官がそいつに声をかけて起こした。
若者はようやくムクッと顔を上げる。
教官が怒った。「やる気がないなら帰れ!
若者は言う。「やる気はあります
教官がその反応に苛立ちを見せ、再度怒る。「やる気がないなら帰れ!
若者は繰り返す。「やる気はあります
その時私はその光景をどこから見ていたのか記憶していないが、その若者がすごく「キョトン」としていたことだけは覚えている。私が振り返ってその若者の顔を覗き込んだ訳はないので、若者の後ろ姿しか見ていなかった筈なのだが、多分、若者の口調とかが本当に一般的なキョトン声、というか、打っても打っても響かない感じだったから、そう印象づいてしまったのだろう。 
教官はしばらく怒気を孕んだ顔で押し黙っていたが、それ以上の問答は無駄と思ったのか、それ以上の授業の遅延は不味いと思ったのか、講義に戻った。その若者もそのまま机に向かっていた。

「やる気はあります」マンのこと、皆様はどう思いますか?

半数くらいの人は「やる気があるなら寝てんなよ」と苛立つのではありませんか?
さらにその内の1%くらいの人は「そう言われたなら帰る方がむしろ潔くてカッコいい」とか思っちゃったりするのではありませんか?

少なくとも当時の私は、「帰った方がカッコいい」とまでは思わなくても「やる気があるなら寝てんなよ」と思ってはいたんです。

僕ら(主語がでかい)は論理的矛盾が嫌い、というか、「言ってることとやってることが違う」「当人の口にする意気込みに対し、当人が実際やってることが全然足りてない」ことをものすごく嫌悪する傾向があるので、 こういう人を見るとものすごく苛立ったり、蔑んだり、しがちだと思うんです。
で、あまりにここの不整合が嫌いなために、「自分がこれをやってないなら、やる気がないんだ俺は」みたいな帳尻合わせさえしてしまいがちになると思うんです。
 
ですが、あれから100年くらいたった今、振り返ってみると、「やる気があってしがみついている人」というか「その時点での力は別にして、やる気があると表明できる人」が、その世界でちゃっかり生き延びていることって、よく見かけるんです。

やりたいことがあるので、その世界にいる」ことの方が、なんだかんだでその世界でのコネクションを得たり、親切な同業者や関係者のサポートを受けたりして、 その世界で伸びていく、ということ、結構ある(と思う)んです。
 
逆に、「夢には相応の力が備わるべきだみたいな実力主義者、不整合が嫌いな潔癖主義者の方が、世界や同業者集団に対してパワー勝負を仕掛けて、力が伸び悩んだ時に自分を支えるコネクションがないとかで燻ったり、孤立に喘いだり、途中でボッキリ折れて別の道へ行く、みたいなこと、多いと思うんです(統計とった訳じゃないんだけど)。

論理性を重視する、とか、不整合を嫌う、みたいなことって、実は「自分はカッコよく見られたい、誰かにツッコミをされたくない」という、ものすごく他人の目を気にしたムーブなんじゃないか。

一方の「やる気はあります」って、自分の目的を第一にした態度という意味では、よっぽど素直なのではないか。

「やる気はあります」と言い続けたあの若者は、その後どうあれ免許を取ることになることになるけど、あそこでスネたり不貞腐れたりしてたらきっと免許を取るのがずっと遅れていたんじゃないか。しかもその時は「あの時あのオッサンに叱られたせいで」みたいに、自分の人生の欠失を他人のせいにしている…

あの若者は、そういう意味ですげーしっかりしていたのかもしれない。

そんなことを、今になって思うのです。  
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僕ら(主語がでかい)はテレビとかでもネットとかでも、ダメな他人とか他人の矛盾とかを見て苛立ったり怒ったり口を出したりするのが大好きだ。大好きなのだが、これをしてしまうことによって、グルグル回転する自分の人生の車軸に「知らぬ間に他人の目を気にする」という糸屑を自分で絡ませてしまうことになり、自分の人生にブレーキがかかる、という罠、ある気がした。

自分に恥を感じるとか、心臓あたりにあるプライドを司る臓器がギーギー悲鳴を上げて激痛に身悶えするとか、夜中に布団の中で絶叫するとか、そういう時は、この「自分で作った他人の目」が絡んでいることがものすごく多いので…
そういう時は「他人のことはどうでもいいので自分のやりたいことをやる」と、マントラみたいに唱えておいた方がいいのかもしれない。 

反省すべき事柄があったので、備忘がてら残しておきます。
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反省点とかノウハウといった思想の塊というのは
自分の中でこねくり回しているうちに煮詰まるもので、
風邪シロップのように濃厚になりがちだ。

で、風邪シロップというのは風邪をひいたときに一口飲むなら美味しくもあるのだが、
蓄積した風邪シロップを他人にバケツでガバッと飲ませるというのは

よろしくない。

で、僕は何かと「全てをいっぺんに済ませたがる」傾向があるため、
仕事しながら溜まったノウハウや修正要望を
相手にガバッと伝えてしまう。
 
大変よろしくない、と反省した。

これ、自分が食らう立場だったら、
怨嗟の塊が数十行に渡ってズラーッと並んでいるように見えて
脳味噌と心臓が理解を拒否するであろうて。

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●じゃあどうするか 

1、要望は チンタラ おずおず 砂山を耳かきでほじるように 吐露していこうね
2、思想は 薄めて たっぷりとした時間やお酒と共に 吐露していこうね
 

例えば自分が最高の料理を考えて、その研究のためにいろいろなものを食べたとする。
ステーキに感動し、寿司にも感動したとする。
それで、いざ自分が料理しようとしたときに

1、ステーキを焼いてから「寿司の味じゃない」と悩み、寿司を握ってから「ステーキの味がしない」と悩み、苦しむ

2、ステーキを焼きはじめながら「寿司の味を足さねば」と思い、よくわからない料理にしてしまい発狂する

こういうこと、わりとよく起きる。

これ、「整理ができていない、区分ができていない」ときに起きることであり、
必要なのは正しい区分であることがある。
「これはステーキの事柄だから」「これは寿司の事柄だから」と、きっちり区分することができれば、このごちゃまぜ病を回避することができる…筈だと今思っている。
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例えば…
「わかりやすい話、キャッチーな話」

「多くの読者に共感されやすい話」とは、
得てして排反する。
変な果物食って身体がゴムになった、どっかの世界の海賊志望の男子のお話と、打ち込んでいる趣味とかのない男子高校生の話とはちょっと感情移入の形が違うし、
三つ編みメガネぽっちゃり隠れビッチ委員長みたいな属性てんこもりヒロインのお話と、男性社会に打ちのめされて疲れた女子社員のお話とでは、感情移入の形が違う。読まれ方が違う。
(無論、山賊に叩きのめされ無力感に泣くルフィには感情移入できるし、隠れビッチ委員長に感情移入したりはするかもしれないけど、とりあえず「自分にも起こりそう」感は低い。)
これは選択の話、区分の話なのだ。
だが、ここをごちゃまぜにすると、「ルフィが海賊志望というのは動機として共感されづらいからルフィはどこにでもいる男子高校生にしよう」とか、はたまた「女子社員じゃキャッチーさが足りないから属性てんこ盛り隠れビッチ変態にしよう」みたいになり、すべてがぐちゃぐちゃになってしまう。
(じゃあルフィは共感不能の奴かというとそうでなくて、「海賊(シャンクス)への尊敬と憧れ」だとか「力のない自分への無力感」だとか「正義感」だとか、我々でも理解し共感できることが1話にみっちり詰め込まれているから、いいんだと思うんだ。)

「区分する」ということ、心にしっかり留めておきたい。
ここ数日の地獄のスランプの中で思ったことを書き留めておきました。

・ごちゃまぜ病はどういうときに起きるか
1、新しい方針を決めるためにインプットを増やしてしまった直後→つまり、インプットしたら適当に放置して腐らせてから使おうね。
2、乾坤一擲のアイデアを出さねばと焦っている時→この世に乾坤一擲の勝負というのは実はほとんどないにも関わらず、なんか他人の目とか期待とかを考えちゃったり、ブランクが長かったりするとこうなる。バンバン連作する状態に身を置くなり、プレッシャーとか感じずに球を投げられるといいよね。
3、多方面からの要請を全部満たさねばならないというような状況になっている時→ここ、扱いが難しい。「全てを満たす良いアイデア」みたいなのって、枝葉の先に身を結ぶことがあんまなくて、根本のあたりからニョキッと生えていることの方が多い気がする。アイデアに対して身軽でありたい…

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