ビフィダス牧場

サークルyogurt、ビフィダスの活動報告場です

反省すべき事柄があったので、備忘がてら残しておきます。
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反省点とかノウハウといった思想の塊というのは
自分の中でこねくり回しているうちに煮詰まるもので、
風邪シロップのように濃厚になりがちだ。

で、風邪シロップというのは風邪をひいたときに一口飲むなら美味しくもあるのだが、
蓄積した風邪シロップを他人にバケツでガバッと飲ませるというのは

よろしくない。

で、僕は何かと「全てをいっぺんに済ませたがる」傾向があるため、
仕事しながら溜まったノウハウや修正要望を
相手にガバッと伝えてしまう。
 
大変よろしくない、と反省した。

これ、自分が食らう立場だったら、
怨嗟の塊が数十行に渡ってズラーッと並んでいるように見えて
脳味噌と心臓が理解を拒否するであろうて。

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●じゃあどうするか 

1、要望は チンタラ おずおず 砂山を耳かきでほじるように 吐露していこうね
2、思想は 薄めて たっぷりとした時間やお酒と共に 吐露していこうね
 

例えば自分が最高の料理を考えて、その研究のためにいろいろなものを食べたとする。
ステーキに感動し、寿司にも感動したとする。
それで、いざ自分が料理しようとしたときに

1、ステーキを焼いてから「寿司の味じゃない」と悩み、寿司を握ってから「ステーキの味がしない」と悩み、苦しむ

2、ステーキを焼きはじめながら「寿司の味を足さねば」と思い、よくわからない料理にしてしまい発狂する

こういうこと、わりとよく起きる。

これ、「整理ができていない、区分ができていない」ときに起きることであり、
必要なのは正しい区分であることがある。
「これはステーキの事柄だから」「これは寿司の事柄だから」と、きっちり区分することができれば、このごちゃまぜ病を回避することができる…筈だと今思っている。
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例えば…
「わかりやすい話、キャッチーな話」

「多くの読者に共感されやすい話」とは、
得てして排反する。
変な果物食って身体がゴムになった、どっかの世界の海賊志望の男子のお話と、打ち込んでいる趣味とかのない男子高校生の話とはちょっと感情移入の形が違うし、
三つ編みメガネぽっちゃり隠れビッチ委員長みたいな属性てんこもりヒロインのお話と、男性社会に打ちのめされて疲れた女子社員のお話とでは、感情移入の形が違う。読まれ方が違う。
(無論、山賊に叩きのめされ無力感に泣くルフィには感情移入できるし、隠れビッチ委員長に感情移入したりはするかもしれないけど、とりあえず「自分にも起こりそう」感は低い。)
これは選択の話、区分の話なのだ。
だが、ここをごちゃまぜにすると、「ルフィが海賊志望というのは動機として共感されづらいからルフィはどこにでもいる男子高校生にしよう」とか、はたまた「女子社員じゃキャッチーさが足りないから属性てんこ盛り隠れビッチ変態にしよう」みたいになり、すべてがぐちゃぐちゃになってしまう。
(じゃあルフィは共感不能の奴かというとそうでなくて、「海賊(シャンクス)への尊敬と憧れ」だとか「力のない自分への無力感」だとか「正義感」だとか、我々でも理解し共感できることが1話にみっちり詰め込まれているから、いいんだと思うんだ。)

「区分する」ということ、心にしっかり留めておきたい。
ここ数日の地獄のスランプの中で思ったことを書き留めておきました。

・ごちゃまぜ病はどういうときに起きるか
1、新しい方針を決めるためにインプットを増やしてしまった直後→つまり、インプットしたら適当に放置して腐らせてから使おうね。
2、乾坤一擲のアイデアを出さねばと焦っている時→この世に乾坤一擲の勝負というのは実はほとんどないにも関わらず、なんか他人の目とか期待とかを考えちゃったり、ブランクが長かったりするとこうなる。バンバン連作する状態に身を置くなり、プレッシャーとか感じずに球を投げられるといいよね。
3、多方面からの要請を全部満たさねばならないというような状況になっている時→ここ、扱いが難しい。「全てを満たす良いアイデア」みたいなのって、枝葉の先に身を結ぶことがあんまなくて、根本のあたりからニョキッと生えていることの方が多い気がする。アイデアに対して身軽でありたい…

エロ描く方のビフィダスです。
4月末発売のエンジェル倶楽部さんの新作、できました! 
「陽菜ちゃんはHにハマっていく」
チラシ1
チラシ2
 ひょんなことから出会い、ひょんなことからエッチしてしまった
陽菜ちゃんとオッサン。この許されない関係はどこへいくのか!
人間、オッサンになっても、揺れる心はあるんや。
よろしくね!感想聞かせてね!
チラシ3
チラシ4
チラシ5
 

ビフィダスです。
2、3、4月と原稿が重なっておりましたが、今ようやく一息つける状態になったので、
備忘がてら、この数ヶ月で生じたことをまとめておきます。

1、精神的低調
2月中盤からやっていたのは、
・夏コミ「北へ」 合同誌原稿
・夏コミオリジナル同人「星のない温泉」48p 3月20日入稿
・エンジェル倶楽部用新作読み切り20p 4月9日入稿
の作業だった。
「星のない温泉」はページ数が多く、すなわち純粋作業量が多かった。通常の倍くらいあった。
私は進捗を一定に保って走るようにしているので(毎晩進捗を記録しつつ目標を宣言しているのはそのため)、短距離だろうが長距離だろうが走るペースは変わらないのだが、
自分へのご褒美になっているのはやはり「完成・入稿の達成感」と「読者からの反応」ではある。
つまり、ゴールがいつもより遠いというだけで、完成の達成感は得られづらくなり、ましてや作品の提出や公開が遅れてレスポンスを頂けるまでの時間が延びるので、その間は不安と孤独(なんというか、暗闇の中、一人で間違った道を歩いてしまっている気がしてオロオロする感覚というか)がひたすら蓄積されていく。商業原稿の場合、編集さんが「バッチリじゃないですか」と言ってくださって、それでとりあえず速かに救われるのでいいのだが…。
今回はそういう意味ではかなり辛い数ヶ月だったように思う。というか、ここ数ヶ月の辛さを思い返すとこういう孤独感が強かった気がする。 
星のない温泉、面白かったら星とか感想とか頂戴ね・・・!
…だが、こういう不安みたいな精神的低調というもの、振り返ってみるとちょっと情けないところがある。
依存的というか、先生に褒められないと頑張れない優等生みたいなフニャフニャしたところがある。
本来は勉強であれ漫画であれ、自分の為になると思っていることなら、誰に何と言われようと粛々と自分のなすべき事が出来るものだし、
作家みたいな特殊な稼業はこういう「孤独に粛々と進めるパワー」みたいなのを誰もが持っているし、そもそもこれを持っていなければ始まらない仕事だ。
つまり、「自分の歩みが正しい方向に向かっているという自信・確信が揺らいでいる」というのが、今、私に生じている問題の根幹なのだ。
自分の内側から生じる確信みたいなもの、これが今、目減りしているっぽい訳なのだ。

2、自信の源
この内発的な確信、私が考えるに三つくらいの要素がある。

1・作風論。つまり「俺の出す作品はこのラインでいく、このラインには手ごたえがある(すでにある、もしくは、今後あるはず)」という中期的見通し。
2・工程論。作画、作劇に関する具体的な方法論。短期的、個別的指針。
3・キャリアプラン。「自分の仕事はどこに繋がっていくか、明るい未来が広がっているのか、手詰まりなのか、手詰まりならどう打開できるか」みたいな長期的見通し。

イメージとしては、飲食店をやりたい人だと…

1→どこでどんな店をやるのか、それは狙い目なのか。通勤客のために立ち食いそば屋を開くのか、有閑マダムのために小洒落たイタリアンを開くのか。
2→料理したり経営したりのプラン。秘密のレシピとか合理的キッチンとか最高の職人とか。内装外装とか宣伝とか。
3→それを一生の仕事にするのか否か、どうなりたいのか。10年先の自分は?このビジョンがないと、5年目くらいに鬱になりそう。

この三つが同時にしっかりしてないと、なんか上手くいかなさそうだし、やってる人は意識的であれ無意識的であれこの三つがしっかりしている予感がする。

今の自分はこの3点が同時にターニングポイントだったりピンチだったりの状態にある。

作風論:そもそもエンジェル倶楽部さん、失楽天さん、オリジナル同人シリーズで三つのラインを抱えている(つまり三つの異なる立地にそれぞれ飲食店を構えている感じだ)上に、三つのラインがちょうど更新時期にある。エンクラ→単行本がそろそろ出る。失楽天→単行本が出たばかりで、2冊目単行本の指針を決めていかねばならなくて、今までの自分をどう変えるのか、新しいことをするのか否か考えていて割と脳味噌が痛い。オリジナル→永遠に指針を更新していかないといけないので結構脳味噌が痛い。

工程論:近頃ここんところの手入れを疎かにしていて、無思慮に強引に作劇作画を推し進めてしまっている。インプットが減っている上に考察時間も減っていて、結果として手癖に頼りがちになる(手癖そのものは全然悪いことじゃないけど)。とにかく、鮭の稚魚みたいに自分の手持ちのエネルギーだけで走るのには限界がある。

キャリアプラン:雑誌人気→表紙→単行本→ビデオ化→アニメ化→フィギュア化、と、成年向け漫画家としての夢を叶えて来てしまって、次のでかい質的ステップがない。一般漫画のスカウトとかも来やがらない(他の人にはめっちゃ来てるっぽいのに!んいいーー!)。私が描いたらもうすごい面白い漫画を出せると思うのにどいつもこいつも見る目がありやがらん。まあ、これは私が描く準備が出来たら持ち込みでもなんでも自分で勝手にやるので相手を待つ必要はないのだけど。

…こんな感じで、ちょうど三つとも怪しい感じなのだ。

3、解決策
キャリアプランに関してはどうしようもない。今後は質的ステップを望めないので、量の向上と安定を求めねばならない(量にも限界があるんだけど、そもそも見上げる天井が全然高いので余地がありまくりだ)。望むべき作家像に近づくためにコツコツやっていく。
作風論に関しては、とにかく今は熟考が必要。熟考の時間をしっかり持つ。近頃作業ばっかりで考える時間が無くなっていた。
工程論に関しては結構難しい。
自分で問題に感じているのは、
・作画面:進捗を焦って、細かいところをババっと進めてしまう→真似したい作家先生の作品をぎっちり分析して方針を決めて作画していく→新しい刺激を得ることと、過去に刺激を受けた作品に立ち戻ること。まあ好きな作品を手元に置いておいて分析すること!新しいことを一つずつ試す!
・作劇面:作劇の構成というのはボーッとしているとどんどん収斂していくものなので、いいなーと思った作品の作劇的構成を分析してレパートリーとして保存しておく。レパートリーは三つあれば盤石と古事記にある。まあ好きな作品を手元に置いておいて分析すること!
・クオリティ面:「買いたい・読みたい・ナウい」と自分で一瞬で思った作品は全部買って、手元に置いておいて分析すること!
分析は人工の翼と古事記にもある。分析分析分析!

・痛感したこと
方法論というのは一度作ってもボーッとしていると意識されなくなってしまう。私もボーッとしてしまっていた。だから、この機会に方法論を振り返って、再インプットしつつついでに諸々手入れをしておきましょう。
あとは分析!!

コミケについて。
1、前提
密閉密集密接がまずいと聞く。屋形船しかり集団食事会しかり、狭い空間に長時間いながら喋ったり唾を飛ばし合う状況が不味いようだ。
2、前提2
重症患者・要隔離患者の同時大量発生で病院がパンクするのが嫌だから、
国に意志があるとしたら、基本的には「経済が死ぬのは困るが、余計な大イベントは避けてほしい、参加するならみんな注意ね」というあたりの予感だ。
3、サークル参加側としては
冬コミなんかもインフルエンザのバーゲンみたいな場所だが、喉を守り水をよく飲み手をよく洗う、みたいな仕方で乗り切った気がする。
サークル参加側としては、
○やり取りの際の発話・接触を無くす。
・「新刊と既刊ください」を無くすために新刊のみに(これは私が漫画単品主体の小さいサークルだから出来ることで、複数冊・グッズ系だったらこうはいかないだろう)
・「いくらですか」を無くすために、値段の単純化と告知徹底、ハンドサインやりくりなど
・「見ていいですか」を無くすために、見本誌や立ち読みをやめる
・「万札でいいですか」を無くすために、万札対応をお断り
・「ありがとうございます」を無くすために、なんか工夫
・あと、立ち話、差し入れやスケブ、サイン類をお断りする
○金銭、本の接触を減らす
・お金は皿越しに渡して箱に落とす、みたいな
・釣り銭をやりとりする機会を減らす …できるんかな。新品の500円を事前に大量に用意する、とか?
…こんなとこか。
4、一般参加者としては
・接触管理、飛沫管理を入念に。くしゃみやせきをしない、汚い指で首から上を触らない、手をよく洗うなどなど
・友人たちと会ってペチャクチャ喋る、みたいなことをやめる。基本無口。
・多人数の打ち上げやオフ会をやらない。
…厳しいな
5、集団としては
・参加者各人がいくら自己管理しようと、その中に、管理不十分な人やグループが混じれば対応しきれなくなる。個人の対策と集団管理とは別物…
・イベントで必死に衛生管理しても、その後オフ会とかの機会を招くようなことなら遠慮しちくり、と少し前にテレビでやってた。
・病気の移り方の追跡、観測をしたい立場の人としては、街中や日常生活の範囲の人的交流(買い物とかもコミケと似てるもんね)ならともかく、全国から大量の人を集めるイベントはやらないで欲しかろう。
・運営側だとしたら…気が遠くなる話だ。列整理とかも救護室とかも、想像できない。
6、私の予想
まだ口外したくない
7、私の立場
・個人の対策は出来る限り準備しつつ、集団の決定に準じるという立場。いつどんな決定があっても良いようにする。
・同人誌即売の環境護持のために、協力できることはしたい。

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