雑誌の編集さんとのやり取りの中で感動したことがあったので、それについて記したコラムです。

私が作品を掲載させていただいている『エンジェル倶楽部』誌さんには
アンケートというハイテック・システムがあり、
巻末についてるアンケートに感想を記入しハガキに貼り付けて街角のポストに投函すると
その意見が編集部に届いて雑誌運営の判断に加味されたり、ご感想が作家に届いたりする。 
作家という、暗闇の海を手探りで泳いで生きていかねばならない運命を背負った人々にとって、このアンケートは心から嬉しい栄養補給となり、また明日への羅針盤となる。
(雑誌によっては、このシステムがないんだそうだ!ある作家さんに「それ困りませんか?」と伺ったら「困る」と仰っていた。そりゃ困るよ。)
今回、このアンケートにまつわる、心底感心する経験をした。
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この度、エンクラ3月号(1月末発売だから今まだ書店にある)に「公衆便所の花澤さん」という作品を掲載させて頂いた。
トイレの花澤1
↑こういう作品。エッチだよ。詳細はリンクでどうぞ→http://yogurtbifidus.blog.jp/archives/53106505.html
電子書籍版もあるhttp://book.dmm.co.jp/detail/b450eagcl00855/
 先刻、そのアンケートの中間集計結果を編集さんより頂戴した。
(アンケートは中間集計と最終集計がある。なぜ集計タイミングが二つあるのかは知らないが、私の推測では、中間集計のタイミングと『その月末に出す本の校了時期』が重なっているので、中間集計の良し悪しが次号予告でのプッシュ度合とかに作用するんじゃないかと思っている。思っているだけ。中間と最終とで順位はわりと変動する。)
そして、その結果がかなりとても良かった。読者の皆様にご支持頂けたことが心から嬉しく、また感謝しております。励みになります。(多くの方々は僕のことを「なんかヘンなギャグを描いてるお絵かきマン」と思っていらっしゃると思うが、スケベマンガの方でもちゃんとやっているのじゃぞい。)

その時、私の編集さんが電話口でこういう言い方をされていた。

「着々とファンを掴んでいるので、よい傾向です」
「掲載ごとに実力がついているので、よい傾向です」 

……この言い方が何を意味するのか、編集さんとの会話の最中は殆ど理解しなかったが、
電話を切った後に暫く考えていて、恐ろしいことに気が付いた。

編集さんは「人気ですね」という言い方を避けている
仮にそういう表現を口にしたとしても、話の力点はその都度「雑誌購読者の方の中にファンが増えているということ」「私の実力が向上していること」に置き直されている。

……わかりますか?

人気順位は、変動する。毎号ごとにフラフラ上下するし、上がれば下がる。
一位にでもなってしまえば、その後は「維持するか下がるか」しか「ない」。
センシティブな人であればそれで一喜一憂してしまう。漫画掲載という先の不透明な世界で、行く末に悲観的になったり、オタオタと方向転換を焦ったりしてしまう。
そもそも、「トップをとる」とかいった喜び自体が、麻薬と同じ「感情の前借り」 みたいな作用を持っている。喜びがでかいほど、反動として「次も維持できるのか?」というネットリとした不安が来るのである。そして次にトップをとっても同じ喜びは味わえないと来た。いよいよ麻薬めいている。
編集さんはそのことの無意味さを分かっているのだ。
というか、そのときの一喜一憂の乱高下が持つ悪影響を
だが、「獲得したファンの方々」は、そう乱高下しない。
ましてや「積み重ねた実力」は、決して下がらない。積み重なるのだから、どんどん増えていく。
編集さんは、そういう「乱高下しない指標」を、作家に与えて、そういう仕方で作家を励まし、元気付けているのだ。

……このことに気づいて私は卒倒しかけた。 

こういう、配慮に満ちた振る舞い、どうやって獲得するのだろう?どこから?
思うに、編集者という職業につくと、ほどなく「日本まんが編集者協会」みたいなとこから連絡が来て、どこかの広間に呼び出されて編集グランドマスターとかにレクチャーを受けるのだ。「人気は乱高下するから作家を人気で褒めるべからず、実力の有無とファンの有無で褒めるべし」「アッハイ」みたいに。
 
いつか暇が出来たら、編集部に取材に行きたい。そう思った。 
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作品を世に問うことを生業にする、とは、
「自分の内面を世間に曝け出し、評価を仰いで生きる」という営為だ。 
つまり「人のことをそんなに気にしていちゃいけない、けど、ある程度は気にしなきゃいけない」という、どうにもスピリチュアルな営みなのである。
精神はふあんていになる。  
そして、商業をやってみて分かったのだが、漫画に、というか、「定期的に作品を提示しつつ自分のモチベーションを管理して生きていくこと」に、決まった方法論はない。
作家さんはその都度自分なりのやり方で「よさそうな手」を探り出し、同業の仲間たちと研究したり研鑽したりしながら、必死に泳いでいるのだ。(考えてみるとこれは大半の職業において、というか人生の大半の局面においてそうなのだが。ヴァレラとかマトゥラーナの生命システム論に「パイロットの比喩」ってあったろう。飛行機の操縦士は箱の中で必死こいてレバーとかを調整しているだけで、自分が上手くやってるのか否かは自分では全然わからない、という。あれだ。) 
作家のセルフコントロール、中長期的セルフコントロールというのは、「漫画を上手く描くこと」以上に重要なことなんじゃねーか、と、時々思う。まあまんが専門学校とかでは漫画描きながらこのセルフコントロールも暗黙裡に学ぶことになるのだろうけど。行ったことないから推測です。