こんにちは、エロ描く方のビフィダスFです。
1月17日に単行本が出るので、18歳以上の方はよろしくね!
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書店特典情報も出揃ったらお知らせします。

さて、今回は折角の機会なので、備忘がてら、これまでのことを少し振り返って整理したいと思います。
一昨年の夏でしたか、私が『エンジェル倶楽部』誌(全世界に読まれるべき成年向け雑誌)にスカウトされてデビューしたあたりの記憶をほじくり返しながら、何があってどういう考え方をしていたのかということをまとめたく思います。
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●マンガは異種格闘技戦
一般的に、イラストとかマンガとかに関しては「絵が上手い人がつよい」と考えられているし、実際私もそれに悩まされてゲロ吐いたりしている。
だが、実際のところはそうでもない。かもしれない。
個人的に、マンガというのは互いに組成の異なる動物どうしの異種格闘技戦場のようなものだと考えている。
一方で脊椎動物であるシュワルツェネッガーが鎧を着こんで大剣を振り回し、一方で巨大なタコが太い触手をくねらせてシカとか巨木とかをなぎ倒している。
「骨格がないので触手攻撃に特化しました」みたいな戦い方が一定の仕方で出来るし、一定の仕方で許されるのだ。
作品魅力というのは多層的だ。絵ぢからというのはその多層性の中の、有力であるが限定的な一契機ということなのだろう。
作家固有の魅力というのはどこに何が埋まっているかわからないし、自分の中の何かと何かを組み合わせたら最高のブレンドが出来てしまった、とか、そういうことがある。
その何かを探しながら、もしくはその何かを掴みながら、作家さんはみんな日々を泳いでいる……。
何が言いたいかというと、つまり、自分がシュワルじゃないからっていちいちゲロ吐かなくていいのかもしれないってことです。

…他にも、こういう考え方もある。

●作家のアビリティ運用いろいろ
大まかに言って、作家を構成するアビリティにはこういったものがある。
・作画力。絵の上手さや緻密さだ。
・生産性。筆の速さだ。
・自己管理。アイデアが尽きたり創作意欲が不調にならないような方法論を確立できているかどうかだ。
・コミュ力。アシスタントさんを使える力だ。
・特異性。目立つかどうかだ。
このあたりの力量は人によってまちまちで、各人がそのまちまちのリソースを割り振って、己の創作スタイルを一定の形に定めていく。
作画力を上げた結果、生産性を下げてしまった人は、寡作になり貧困に喘ぎそうなムードだ。
作画力が高くて生産性を維持したい人は自己管理力かコミュ力を高水準に高めないといけない。つまり、過労か、アシさんを雇うかだ。健康ないし預金口座を危険に晒す。作業形態がライフスタイルやメンタリティに合わないということは絶対出てくる。
アシさん使って生産性を一定以上高める時に、作画行程を画一化する方法を取ってしまうと、中長期的に絵柄が劣化したりしそう、なんて懸念もある(ここんとこ皆さんどうしてるんだろ)。
求められるジャンルによっては、画力の高さがジャマということもある。とあるギャグマンガは、連載を続けるうちに作画が「フツーに上手くなり」すぎて、結果として絵面の面白みがなくなってしまった。
また、生産性が無闇に高いのも問題だ。飽きられかねない。個人的に、筆の速さというのは画力以上の価値があると思っているのだが、運用法を間違えると不味い能力だとも思っている。
特異性というのはさらに運用が厄介だ。何故なら本人の力量の問題というより、本人が身をおく環境に対する本人の対応力、のようなものだからだ。これ、「画力が高い人」を一定の仕方で縊り殺していく機構だと思う。絵が現代的で上手い作家を雑誌に集めたなら、その「現代的な上手さ」が平均値になってしまう。森の中に木が混じるようなものだ。まず、自分の存在は埋もれる。クラスで一番マンガの上手かった子が、少年プンジャ増刷に載ったら全然パッとしなかった、なんてこと、あるだろう。そういうのだ。かといって、目立つ為にひたすら奇を衒えばいい、という訳でもない。厄介だ。
僕の場合、デビューしてまず真剣に考えたのが、「『エンジェル倶楽部』の中で、どうすれば埋もれないか。埋もれたら俺は終わりだ」ということだった。エンジェル倶楽部誌は全体が肉料理のような雑誌だ。そこにステーキを持っていっても仕方がない。ということで、ただのミートローフではなく梅肉入りのゼリー寄せにしたり、中に肝臓や砂肝を忍ばせたりと、あれこれ策を弄した。

つまり、アビリティが低いことに苦労があるように、アビリティが高いことにも、それ相応の苦労があるのだ。
「絵が上手い人がつよい」とは、一概には言えなくなってくる。
多分、アビリティそのものよりも、アビリティの「組み合わせ」と「運用法」みたいなことのほうがはるかに重要なんじゃないだろうか。
画力が高く特に性的表現に恐ろしく長けた作家布陣を誇るエンジェル倶楽部誌の中で、私がどうにか単行本を出すに至り、なんか偶然サイン会とかやることになっているのも、私のアビリティそのものよりも、多分なんかの運用が上手く働いた結果なのだろうと思う。

・じゃあ何が成功なのか。
マンガを描いて載せ続けるという作家の営みは、何をどうすれば成功と言えるのか。
少年プンジャでデビューできたら成功か?と言われると、全然そんなことがなさそうというのが見えてくる。上手いだけじゃ埋もれる。打ち切られたら借金苦だ。プッシュされたらオーバーワークで体や精神を壊してしまう。
このあたり、人生軌道と同じで、想像をはるかに超えて不透明だ。少なくとも外から見積もって思うほどには単純じゃない。
開成や灘に受かれば東大合格が約束されている訳ではなく、東大に受かれば一流企業への就職が約束されている訳ではなく、一流企業に就職すれば人生の成功が約束されている訳ではないように。
あてどない。
じゃあ私個人はどうかというと、目標はボヤボヤとしているものの、少なくとも人生を楽しく生きていきたいとは思っている。
で、エンクラで漫画を描くことが、今すごくすごく楽しい。これからもっともっと楽しくしていきたい。その為に頑張ろうとは考えている。そして、この状態を維持できれば個人的にはとりあえずなんか「成功」なのではないかと考えている。単行本を控えた今現在、僕の精神テンションは非常に高いので、あれこれやります。

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さて、インターネットお絵かきマンから漫画掲載マンになり、貴重な誌面を割いて作品を載せて読者の皆様に届け、出版社から原稿料を貰うということになってから、いくつか、急転直下の心理的変化が起きた。これも書き留めておきます。

・やめたくない。
ちょっと前までは漠然と「デビューできたら幸せだろうなあ」と考えていたのに、
いざデビューが決まると、今度は一気に「この雑誌に『もう貴方は要りません』と言われたくない」という恐れに支配されてビクビクし始めた。
こういう急転直下というのは結構ある。思いつめた挙句に無理心中しようとして家族を手にかけた途端、心の問題が解決してしまったので自殺をやめてしまう人とかって、いるだろう。あれだ。
無論こういった恐れは各人の人生設計と連関するもので、「一回載せられたら本願」という人だったらそれでいいのだが、少なくとも僕はビクビクした。
それに、漫画雑誌というのは雑誌そのものよりも単行本で収益を出すシステムンらしく(タイヘンだ)、だから出版社としても、単行本はなるべく出したいし、出したらなるべく売りたいそうなのだ(と、最初の打ち合わせで編集さんに伺ったし、どこの編集さんもそういう話をなさるので、一般論らしい)。
だから私側としても、「私を拾って下さった出版社に恩返しする為にも、本を出せるようにガンバロ!」となった。
……
じゃあどうしたかというと、「先ずは雑誌の中で生き残ることが重要の筈だ。この雑誌の読者の皆様に認知されること、そして見放されないこと、これを当面の指針としよう」と考えた。
で、突然の増ページやカラー仕事などが来れば0.1秒で仕事を請けていた(誌面に載る回数と面積が増えれば私のことはそれだけ読者の皆様に知られる訳だからね)。
また、アンケートや順位にものすごく気を配った。気を配るといっても、返ってきた反応を見て即座に対策が打てるわけでは全く無いし(例えば1月末発売の本のアンケ結果は2月いっぱいまで集計して3月頭に作家に帰って来る。それが帰ってくる頃には次回の作画作業が終わっているんだから反映しようにもできない)、そもそも作家がオタオタと対策を打ってフラフラ軌道変更すれば良い結果が待つ訳でもないのだろうけど。
ただ、アンケやファンレターで読者の皆様の御支持をいただけた結果、私はエンジェル倶楽部誌にてすごく楽しく創作を続けることが出来ました。本当感謝いたします。
(ぼやかして報告しますと、私は掲載当初は「中間集計では成績がよく、最終集計で落ちる」というパターンだったのだが、中盤くらいから「最終集計でも伸びる」ケースが増えた。私の見立てで、中間集計に反映される票というのは「ビフィダスを応援して下さる方の数」を意味し、最終集計に反映される票というのは「読者の皆様にとっての、雑誌全体での作品印象値・認知度」を意味するのではないかと勝手に思っている。だから、掲載中盤くらいから雑誌読者の皆様の中で私の存在が認知され始めたのだと思う。ありがたい…。)

・勉強不足の言い訳が出来ない。
これはとても恐ろしいことだ。
悲しいかなマンガというのは、上手い先人や上手い同輩が沢山いるおかげで、見渡す限りが教材という世界だ。
しかもこのインターネットンの時代、特定の技法を調べようと思えばその教材はぶりぶり出てくる。
「僕、これ先生に教わってないから出来ないです」といった言い訳が、出来ない。
私はかつて「僕、絵を専門で勉強してないけどこれくらい描けるんだぜエッヘン」みたいな、自尊心を満たす為だけのクソみたいな言い訳を自分に行使しまくって生きてきたが、この手が使えなくなった。(多くのクソ上手い作家先生は、独学だみんな独学なんだ!アアアアアア!!
が、僕にとってはこれが最高に気持ちのいいことでもあった。少なくとも、学んだ分だけそれを発揮できるというマンガの世界、すごく清々しい!RPGとか異世界転生ノベルンとかで、経験を積んだだけスキルが解禁されるって、あるじゃないですか。これが、実世界で起こっているのだ。僕が近頃全然ゲームを遊ばないのは実生活がゲームのように面白いからだ。
しかも、付け加えるに…

・勉強不足でも全然問題ない。
これも事実だ。
そもそも、マンガ表現全体は要素があれこれありすぎて、誰も彼も勉強の途上といったところなので、いちいち周囲を気にして劣等感を膨れ上がらせなくてもいいのだろう。
それに、「自分は巨大ダコだから脊椎なくても構わないです」みたいなこともある。自分の作品魅力や作品制作アルゴリズムにマッチしないスキルなら、当座は持っていなくてもいいのだ。
勉強不足というのは、自分の個性を形成するフックでもあり、また創作に行き詰ったときに新規に開拓することのできる伸びしろでもある、と言えるかもしれない。
そう考えると、ヘコむより先に前を向こうという気分になる。

ただ、一つ困ったことがあった。

・弱音を吐けない。
自分の力量への劣等感や弱音を、トゥイッターとかに公言できない。
仮にもお金を頂戴し、誌面を奪って作品を掲載している身だ。自分を否定することは、そのお金と、自分が奪った誌面に本来載るはずだった人の原稿を、否定することになりそうな気がする。
結果的に、トゥイッターにはうんことかちんことかセックスみたいな反射的な言葉が垂れ流されることになった。

個人的な考えだが、「弱音を吐く」ことの効能の一つに、
というか「弱音をわざわざ周囲に見せびらかす」ことの効能の一つに、
「自分をダメと言えている自分は物事をよく理解しているからダメじゃない、したがって自分はエラい」という、ものすごくインスタントな自尊心回復が、ある気がする。(この世の弱音の全てがこのために行われているという訳じゃあ無論ない。例えば「自己反省をきっちり固定して次に活かす」為の弱音とかはある。上の弱音論はあくまで一つの類型ということだ。)
このインスタント自尊心回復、僕は大好きだったのだが、なんか自分の存在強度をズルズルと落としそうなので封じることにした。