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練習003
↑花澤さんという子。個人的に物凄く気に入っている人物です。
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さて、前回に続きまして、商業誌でマンガを描き始めてからあったことを
記憶をほじくり返しつつ描いていきます。
今回は、編集さんに関するお話です。

●編集さんのチェックあれこれ
基本的に、作家は次回作のアイデアとかを出したら編集さんに提出して、話を見てもらって、「OKです」とか「ここ、もうちょっとこうしましょう」とか言われた上で、作品へと仕上げていく。
「他人の目を介在させる」というのは物凄く意味のあることだ。
無論、作家単体でも、自分の中に他人の目を作り出して自作品をクールに精査しなければならないのではあるが、
それでも一人の人間には限界があるので、編集さんという他人の目にチェックして貰う訳である。

マンガを作り上げる際の各段階で、適宜、こんな感じでチェックを入れてもらってきた。
・キャラデザ&構想段階
←例えば、駆け出しの新人が「カレー屋さんでバイトしてる女子が間違えて香辛料のついた指で尻穴触っちゃってヒーコラ言ってるうちに興奮してきて店主と香辛料セックルする」という作品構想を伝えたりすると、編集さんから「まだビフィダスさんは掲載初期なので、冒険的なことをすると理解が得られない危険があるので止めた方がいいかもしれません」とか言われたりする。
・プロット段階(作品の展開と対応ページ数の目安を、文字で書き表したもの。おおまかな台本。)
←例えばエロに入るまでにダラダラとページを割きすぎたり、エロシーンが短くなってしまったりしていると、「導入をもうちょい詰めてください、最低でも5P目にはエロ要素を出してほしいです」とか「エロ増やしましょう」とか言われる。
・ネーム段階(プロットを絵にして実際にページに大雑把に書き出したもの。)
←例えば、似たようなコマ組み・展開が連続していたりしていると、「ここ、画面構成が被っちゃっているので変えて行きましょう」とか言われる。あと、キャラクターの描写やセリフが理解しづらいとかいった時には、修正が入る。
・作画段階
←例えば、「もうちょっと線にメリハリが付くと、画面が垢抜けてくるかもしれません」とか「ここ、線の汚れっぽいですが大丈夫ですか?」とか言われる。

さて、エンジェル倶楽部誌にて定期的な掲載をすることになって、編集さんに適宜アドバイスを貰いながらシコシコを作品を製作し掲載していく中、私は徐々に不安になりもしていた。
編集さんのチェックが入るということは、自分の作品が商業誌に掲載してOKなレベルにあるというある種の品質保証にはなっているかもしれない。
だが、編集さんは50点以下の箇所を70点にまで引き上げてくれても、70点のものを100点に引き上げるまではしてくれないのではないか。そもそも、編集さんの指導が天網恢恢だったら、この世に出るマンガ作品は全て大ヒットだ。だが現実はそうではない。
だから、そこのところは作家が自分で尻に鞭打っていかないとダメくさいのだ。安住してちゃいけない。
そう思って、自分でかなりオタオタしていたように思う。

そんなある時、提出したネームに、電話口にて明確なNOを突きつけられたことがあった。 
このときのことは覚えている。
編集さん今回のネーム、ちょっと問題を感じまして
「ぎょ、どこでしょうか」
編集さん普段のビフィダスさんの作品だと、出てくる女の子の人物や性格が伝わってくるのですが、今回それが伝わってこなかったんです。
雷に打たれたような思いだった。
というのも、 その時提出したネームは、「エロ密度を高めよう」とオタオタ画策して、予定していた導入部を削ってエロにわざと差し替えたものだったのだ。
オタオタした部分が編集さんにそのままバレた。
私は速攻で「わかりました、導入部を修正します」と言って、速攻でネームを修正して送り、OKを頂戴した。
そしてこの時に、「編集さんは作家の特徴とか魅力とかいったことをちゃんと理解してくださっているのだ…!」と、感動したのだった。
しかし、これは同時にリスキーなことでもあるぞ、とも思った。編集さんの言葉で作家が自分の作品方向を規定するというのは、自分で自分を縛ってしまうこととも言えるからだ。自分の魅力とか本領というのはどこにあるか分からないし、得意技は一つに絞らなくてもいい、二つ三つあってもいい筈だ。だから、あくまで一つの指針としてこの言葉を受け取ろう、ということになった。まあ、「単行本1.7冊分くらいは一つの方向性でガンガン行っていい」と古事記にも書いてあるので、あんまオタオタすることはないのだろうけど。

こんなこともあった。
女の子二人が男とナニする話のネームを描いていて、やはり電話を頂戴した。
編集さん「ここ、ランちゃんからほのかちゃんに、その、なんかアクションは無いんですかね」
「へえ(ピンと来てない)」
編集さん「例えば嫉妬するとか、なんかあるといいと思うんです」
「はあ(ピンと来てない)」
このやり取りは何を意味していたのか。
後々になってその意味がわかった。
こういうことだ。
新規キャンバス
通常、スケベというのは男一人と女一人の間で営まれる。互いに感情があり、スケベの中でその感情が姿を現したり姿を隠したり姿を変えたりする。
だが、3人が絡むのなら、人間の心のやりとりは、男⇔女1、男⇔女2だけでなく、女の子同士の間にもある筈だ。
というか、なきゃおかしい。普通ある。
そこを描いてくれ、と言われていたのだな。 
理解力が追いついた時、私は呻いた。その通りすぎる。 

マンガのプロである編集さんの目は、50点以下になっている部分に適切に突き刺さるのだ。
そして、こういう指導を重ねるうちに、作家が自分で50点以下の部分に気づくようになっていくのだろう。

●打ち合わせと「作品の理想像」
若い作家さんとおしゃべりしたりしていると、打ち合わせの中で自作品に対し編集さんにダメ出しされたりリテイクを要求されて、すごく落ち込んだり迷ったりするケースというのがある様子だ。
そしてその時に、編集さんにあれこれアイデアを言われてしまい、そのアイデアを自作品に折衷できるか分からなくてまた悩む、というように。

だが、作品の理想像というか着地点というのは、無論作家にも、そして編集さんにもおぼろげにしか見えていないに違いない。
トゲの丸まった三角形のような叩き台がある時に、編集さんのなんとなく思い描く理想像が「丸」だとして、編集さんが「トゲを削ってみたら?」とアイデアを出すとする。だが、丸にしたいなら、「凹み部分に肉を盛る」仕方でも丸に出来る。作家からは、「じゃあこっちに肉を盛るってのはどうでしょう」とか言える訳だ。
逆に、尖った三角形にするという理想像もあるかもしれない。そういう場合、「もっと角をとがらせてみるってのはどうでしょう」と、作家は編集さんに持ちかけることができる。編集さんは「あっ、三角形を目指す方向なのね」と分かる。 三角形が売れないというのなら却下されるだろうけど。
「トゲを削ってみたら?」というアイデアは、幾つかの理想像の内の一つに向けての、幾つかの方法の内の一提案な訳なのだ。

肝要なことは、作家が自我を猪突猛進に突き通すことでもなければ編集さんに嫌われないようにオタオタ擦り寄ることでもなく、「その作品がピシッとすること」「その作品が本領を発揮すること」に違いない。
だから作家と編集さんは、その「ピシッ」に向けてあれこれとアイデアを出し合えて、互いにあれこれと検討して、一番拡張性が高そうなものを探り出していき、最終的に作家が十分に納得するに至り、新作という拳を構えて世界に向けて殴りかかる、というのが生産的なんだろうなあ、と思う。