子供が漫画家を目指すと言い始めたら親としてどう対応するか。
そういうお話がトゥイッターとかで騒がれている昨今ですが、そもそもこのあたりの問題はあれこれあって十把一からげにはし辛い事柄なので、
僕の知っている限りでまとめてみるのもいいかもしれんと思って、今からちょっとまとめてみます。

●そもそも「漫画家になりたい」という夢は漠然としている
この事実に気づいたのは僕が漫画家の先生方とトゥイッターやスカイポなどでお話できるようになってからのことです。だからここから始めます。
漫画家になりたい、とはどういうことなのか。青年期の人間がこの言葉を口にする時、そこにはこういった類型があるのではないかと思う。試みに、以下にざっと並べてみます。
1、週刊少年ジャンプでドラゴンボールやワンピースを描く。←これ、何故かよくあるイメージなのだが、まあ千代の富士になりたいとか野茂になりたいとかと同じ現象なので、避けられない。
2、一般誌で漫画を連載して人気作家になりたい。←このラインで頑張る人は多いし、ここに入るルートの門戸は近頃マイコンとか作画ソフトとかSNSとかの発達でゴキッと広がったから、すごいいい世の中だと思う。
3、描きたい漫画の構想が脳内にあって、それを読者に伝えられる立場になりたい。←中高生とかによくあるパターンの気がする。だが、振り返るに作品発表の機会というのは商業誌に限らず、ネットとかSNSとか同人とかコミティアとか色々あるので、この場合はプロになるとかお金貰うとか無関係に、自分の作品を形にして読者に伝えられることがゴールなのだろう。(あと、そもそも「私の頭の中に出来てる超大作の構想を見てよ!」ってタイプの人は、あんま連載に至る事が出来ない気がする。連載に必要とされるものは、なんつーか「毎話に必ず面白さを盛り込めるサービス精神」だとか「毎話にその都度、読者を飽きさせない仕掛けを配置できる巧みさ」だとかの方がウェイトが大きい気がするので、連載したい時は「脳内ストーリーに対する深い情熱」よりも「あれこれバンバン話を作れる多産性とレパートリーの豊かさと、めげないタフネス」を鍛えた方がええんでないかい、とか思う。ここんところ、私は編集さんの立場になったことはないので実際のところは知らない。)
4、一回でもいいから商業誌に載りたい。←これ、わりとあると思う。「商業誌に載る」ということは、「作家としての自分の価値証明」みたいな意味がある。このステータスを得たいという人は絶対に多いに違いない。只、ここに潜む「自己肯定感」みたいな動機は厄介なもので、飢えてる時は無限に飢え続けて「次は単行本だ」とか「アニメ化だ」とか考えちゃって心の休まるときがないし、かと思いきや、事故とか怪我とか家庭の事情とかの外的要因をキッカケにあっさりポッキリ折れたりする。人生とは、言い訳にブチ当たっては軌道を変えていくコリントゲームのようなものなのやもしれない。
5、漫画で生計を立てて自立を獲得したい。←生活の自立を獲得するというのは立派なことで、親からの文句とか心配とかも受けなかろうし、学生から社会人へと移行する若者にとっては人生の根本問題だ。だが、こうなると行動の選択肢は、というか発想の選択肢はブワッと広がる。自分の生活を維持するだけのお金を漫画で稼ぎ続けられればその人生は成功している。生活や人生計画に足りるお金さえ稼げれば、それ以上無理して働かなくても別にいいのである。「お金さえ稼げればいい」ので、活動の場は商業マンガ雑誌への連載には限定されない(ここが、話を聞いていて初めて知ったこと)。商業でデビューしなきゃならんとか、商業で月産○○ページ描かなきゃならんというような制約がない。頑張って物凄く魅力的な同人誌を描いて頑張って頒布するとか、スケベな漫画をデジタルで描いてDMMとかDLsiteとかでデータ販売するとか、それだったらそもそも漫画じゃなくてイラストという道もあるとか、patreonとかfantiaみたいな支援SNSに登録して支援者にお金を貰って作品を提供するとか、そういう風に道が広がる。その代わり必要スキルも変わる。市場リサーチとかマーケティングとか宣伝とかを、鷹の目のように抜け目なく自分でやらなきゃいけない。清貧とか職人気質とか言ってられない(今の時代、そもそも多くの人は清貧とか職人気質とか言ってられない)。他にも、培った作画のスキルを使って高給アシスタントになるとか、そういう道もあるらしい。重ねて言うが、絵や作画技術でマネーを稼ぐ道というのは色々あるのだ。
6、兼業で漫画家になりたい←よくあるが、特に問題がない。そもそも「兼業」という発想を持っている時点であんま問題がない。
・・・こんな感じで、「漫画家になりたい」という漠然とした言葉にいざ光を当てると、様々な内実が見えてくるのである。
(そもそも「子供が漫画家になるのを制止したい」という親の意志の根底にあるのは、子供を不安定な職業に付かせたくたいとか、すねかじりにさせたくないとか、社会に放り込んで一定以上の世間知を身に付けさせたいとか、世間に恥じない存在にしたいとか、老後の介護をお願いしたいとか、そういう願望であると思われる。よって、こういう心配はある程度は仕方がない気がするし、じゃあ子供に漫画家をやめさせればそういう心配事が綺麗に回避できるかというとそんなことも永遠にないので、つまり結局、このあたりの事柄は、親と子供の人生の分岐路に存在する流行病という気がする。)
・・・
まとめるに、
・「漫画家になりたい」という大雑把な言葉の背後には、人それぞれの様々な背景事情、様々な願望と、それに対応したゴールがある。様々な人生プランがある。
・現実問題としては、人生の自立が出来ていれば殆ど誰も文句がない。自分の人生を自分で決断して選んで、結果的に自立できていれば、実は自分も親も誰も、なんも困らない。なーんも困らない。例えそれによって失敗しても、自分で決断した限りは実はあんま困らない。何故なら自分で決断した人間は、失敗後も次の方策を自分で決断できるからだ。だから困らない。他人に自分の人生の選択を任せると、こういう場面で決断ができなくなって、他人のせいにするとか恨むみたいな嫌な苦しみ方をする。
・時代は変わっている。絵を描いて生計を立てる道は多岐化していて、「漫画家」は今はそんな狭き門じゃあない。「漫画家の収入は、雑誌やwebの商業連載の、ページ単位の原稿料(これ、はっきり言って全然多くない)と、出るかどうかわからない単行本のフニャフニャした印税(これも、めっちゃ儲かる状態になることはそんな多くない筈)だけ」では全くない。兎に角、「絵を描いてモノを作って売り出して、その絵とか作品世界の価値を認めてもらって、「あーこの作家の作品、ほしいなー」とか多くの人に思って貰って、対価を得る」という道が今、十数年前とかに比べてめちゃくちゃ広がっている
・・・僕らはそこら辺から考えなきゃいけないのだと思う。
●「漫画家になりたい」という願望を見つめなおす時
だから、「漫画家になりたい」と思った場合、自分の願望というものを見つめ直さなきゃいけない時というのが絶対に来るのだ。これは絶対に来る。
自分は何になりたいのか。ワンピースを描きたいのか。何故そうなのか。親とか世間に認められたいからなのか。世間一般の漫画家のイメージの軌道に乗りたいからか。一般論として、そういうフラフラした考えでとりあえず皆が乗ってそうなエスカレーターに自分も乗っとこう、みたいな発想は受験の進学先を決める時くらいしか通用しない発想で、その時期が過ぎるとこれが通用しなくなってきて、使いもしない資格の所持数だとかTOEICの点数とかで一喜一憂し、「同期から一歩でも出遅れたから俺は負け組だ」とかどうでもいいことで悩み出し、心労は増し、頭は禿げ、無意味に溜まった給料を他人の薦める凝った酒とかに費やして、「人生なんてこんなもんだ」とか愚痴りながらそのルサンチマンを自分の子供に押し付けて子供の人生軌道を踏み曲げて憂さを晴らしたりする。悲しい。
自分は何になりたいのか。何が欲しいのか。
これにも、大体次のような目標と、それにいたるルートとがある。
1、商業誌に載って連載したい
漫画家になるために複数の少年誌やヤング誌に持ち込みして多方面に縁を作り、多くの人に良い意味で気にかけてもらってアドバイスを貰いながらスキルを上げていって賞とかに応募するのか。
同人から始めて、画力や表現力やマーケティングぢからを実地で磨いていって編集さんに声をかけてもらうのを待つのか。
トゥイッターとかに漫画をガンガンアップロードしていって、連載に対する予行演習をしつつ知名度と宣伝力を上げていって編集さんに声をかけてもらうなり分厚いポートフォリオにして持ち込みするのか。
ピクシブで漫画をどんどん描いていってなんか話題になってなんか単行本化してなんかアニメ化するのを待つのか。
昔に比べ、今は道が多い。
2、一人で漫画を描き続けていたい
大きな仕事にしたくない、アシスタントを使うとかプロダクションを構えるとかがめんどくさい、というタイプの人はいる。
そういう場合、例えば、一人で作画を進める効率の良い方法論をガッチリ形成して、一人で全部出来るようにするという道がある。高橋ツトム先生はそうされてるらしい。「漫勉」見てたらそんな感じだった。
他には、一人で作業するペースを守りつつ、商業掲載を無理ない仕方で続けて、あとはバイトとかアシスタントとかでお金を稼いだりコミケで頑張ったりして生きていく道もある。多くのエロ作家はここのラインにいる気がする。
3、自由に作品を作りたい
そもそも「商業誌に載る」ということは必須の事柄なのか。
「漫画を描いて生きていく」ことは、別に「商業誌で連載を持つ」ことには限らないし、そもそも「生活費を漫画から全部捻出する」こととも限らない。
編集さんによる内容指導だとか「近親相姦はダメです」的な縛りがイヤだ、わしゃ自分の好きなように描きたいんじゃ、ということに気づくケースもある。
そういう場合、商業から離れて同人とかSNSとかで自由にガンガン描いていくのもいいのだろう。
コマ割りをして右から左へ読む漫画という形式が自分にそぐわない、なんてことが分かることもある。
そういう場合も、漫画という形式に固執する必要はない。文字入りイラスト集とか、形は色々あるからだ。
4、絵でお金を稼ぎたい
こうなると、商業誌の連載よりも都合の良い道は多い。
スケベに関するリサーチをがっちりやって、DLで徐々にものを売って、その資金を使って優れたアシスタントさんや作画担当さんをガンガン仲間にして、どんどんハイクオリティの作品を作ってどんどんお金を稼いでいく道、とか、ある。

・・・どの道にもめんどくさいリスクとか、衝突する壁とかがある。また、目標が途中で変わっていくことというのもいくらでもある。
このあたり、自分で吟味し自分で判断し自分で選択して決めていければ、嫌なタイプの後悔せずに日々を楽しく生きていける気がする。

さて、諸々の道に損するリスクに関してのお話もしたいのですが、それは後日に。