昔、地元の自動車教習所に通っていた頃、こんなことがあった。

自動車教習所の科目講習(というのかな、つまり教室での授業ね)は、けたたましいブザーと共に最初に教官が来て、半分くらい黒板とか教科書で講義を進めた後に残り半分で20分くらいの教材ビデオを流し、終わりぎわにまた教官が来てハンコ押して終わる(んだっけ)みたいな形で進む。
教習所は普通の学校と違い、参加者は「免許が欲しくて教習料を払った」という人たちばかりだし、もし授業をまともに聞いてない奴がいてもどうせその後の免許取得試験をパスしなければ困るのは本人な訳だから、こういうビデオ授業での放任みたいなことがある程度許されるのだろうし、教官も様々な層の集まる受講者に対し綿密な干渉はしない感じであった。

そんな放任的な世界の中で、ある時、教官が珍しく受講者を叱ったことがあった。
 
講習開始時、前の方の席で、爆睡している若者(ヤンキーな感じ)がいたのだ。 
見かねた教官がそいつに声をかけて起こした。
若者はようやくムクッと顔を上げる。
教官が怒った。「やる気がないなら帰れ!
若者は言う。「やる気はあります
教官がその反応に苛立ちを見せ、再度怒る。「やる気がないなら帰れ!
若者は繰り返す。「やる気はあります
その時私はその光景をどこから見ていたのか記憶していないが、その若者がすごく「キョトン」としていたことだけは覚えている。私が振り返ってその若者の顔を覗き込んだ訳はないので、若者の後ろ姿しか見ていなかった筈なのだが、多分、若者の口調とかが本当に一般的なキョトン声、というか、打っても打っても響かない感じだったから、そう印象づいてしまったのだろう。 
教官はしばらく怒気を孕んだ顔で押し黙っていたが、それ以上の問答は無駄と思ったのか、それ以上の授業の遅延は不味いと思ったのか、講義に戻った。その若者もそのまま机に向かっていた。

「やる気はあります」マンのこと、皆様はどう思いますか?

半数くらいの人は「やる気があるなら寝てんなよ」と苛立つのではありませんか?
さらにその内の1%くらいの人は「そう言われたなら帰る方がむしろ潔くてカッコいい」とか思っちゃったりするのではありませんか?

少なくとも当時の私は、「帰った方がカッコいい」とまでは思わなくても「やる気があるなら寝てんなよ」と思ってはいたんです。

僕ら(主語がでかい)は論理的矛盾が嫌い、というか、「言ってることとやってることが違う」「当人の口にする意気込みに対し、当人が実際やってることが全然足りてない」ことをものすごく嫌悪する傾向があるので、 こういう人を見るとものすごく苛立ったり、蔑んだり、しがちだと思うんです。
で、あまりにここの不整合が嫌いなために、「自分がこれをやってないなら、やる気がないんだ俺は」みたいな帳尻合わせさえしてしまいがちになると思うんです。
 
ですが、あれから100年くらいたった今、振り返ってみると、「やる気があってしがみついている人」というか「その時点での力は別にして、やる気があると表明できる人」が、その世界でちゃっかり生き延びていることって、よく見かけるんです。

やりたいことがあるので、その世界にいる」ことの方が、なんだかんだでその世界でのコネクションを得たり、親切な同業者や関係者のサポートを受けたりして、 その世界で伸びていく、ということ、結構ある(と思う)んです。
 
逆に、「夢には相応の力が備わるべきだみたいな実力主義者、不整合が嫌いな潔癖主義者の方が、世界や同業者集団に対してパワー勝負を仕掛けて、力が伸び悩んだ時に自分を支えるコネクションがないとかで燻ったり、孤立に喘いだり、途中でボッキリ折れて別の道へ行く、みたいなこと、多いと思うんです(統計とった訳じゃないんだけど)。

論理性を重視する、とか、不整合を嫌う、みたいなことって、実は「自分はカッコよく見られたい、誰かにツッコミをされたくない」という、ものすごく他人の目を気にしたムーブなんじゃないか。

一方の「やる気はあります」って、自分の目的を第一にした態度という意味では、よっぽど素直なのではないか。

「やる気はあります」と言い続けたあの若者は、その後どうあれ免許を取ることになることになるけど、あそこでスネたり不貞腐れたりしてたらきっと免許を取るのがずっと遅れていたんじゃないか。しかもその時は「あの時あのオッサンに叱られたせいで」みたいに、自分の人生の欠失を他人のせいにしている…

あの若者は、そういう意味ですげーしっかりしていたのかもしれない。

そんなことを、今になって思うのです。  
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僕ら(主語がでかい)はテレビとかでもネットとかでも、ダメな他人とか他人の矛盾とかを見て苛立ったり怒ったり口を出したりするのが大好きだ。大好きなのだが、これをしてしまうことによって、グルグル回転する自分の人生の車軸に「知らぬ間に他人の目を気にする」という糸屑を自分で絡ませてしまうことになり、自分の人生にブレーキがかかる、という罠、ある気がした。

自分に恥を感じるとか、心臓あたりにあるプライドを司る臓器がギーギー悲鳴を上げて激痛に身悶えするとか、夜中に布団の中で絶叫するとか、そういう時は、この「自分で作った他人の目」が絡んでいることがものすごく多いので…
そういう時は「他人のことはどうでもいいので自分のやりたいことをやる」と、マントラみたいに唱えておいた方がいいのかもしれない。