カウボーイビバップの実写版を見るために先日Netflixに加入した。
全編見た。
好きだ。
==
原作であるアニメ版カウボーイビバップは、結構今でも評価が高いというか、良い思い出として保存され評価されている作品っぽいものであるし、実際私もかつてはファンだった。
が、私の中でアニメビバップには何か釈然としないものが纏わりついており、「アニメビバップとは何だったんだろう」と、アニメが最終回を迎えてからも暫く、振り返ることが結構時々あった。
ある時点からビバップという作品に関して明確な距離が出来て、ある種「どうでもいいもの」になっていたのだが、ビバップ実写化という話を受けて、アニメ版を見返してみたりもして、再びそんなことを思い出すようになった訳なのだ。
(あ、以降はドラマ版もアニメ版もネタバレあるから注意)
子供の頃に触れる機会のあったアニメビバップは、「大人の世界を描く、渋くカッコいいアニメ」という世間の評判というか評価のようなものを、常に纏っていた。
舞台は人々が船で宇宙を行き交う近未来。主人公の賞金稼ぎ・スパイクは20代後半男性。余裕の笑みを口元に漂わせ、つかみどころのない飄々とした性格のようでありながら、マフィアの過去を覆い隠しながら日々を生き、時々その暗い過去がスパイクを突き動かしたりする。
相棒で個人宇宙船ビバップ号のオーナーでもあるジェットは離婚歴ある36歳。過去には刑事で、その時に片腕を失っている。
ふらりとビバップ号に寄生することになった若いやり手賞金稼ぎ女のフェイちゃんは、かつての冷凍睡眠措置により過去の記憶がないという、人生の空白を抱えている。
そういう大人びた面々が、渋く暗い過去を背負いながらそれを覆い隠して、一つの船に寄り合いつつ日々を過ごし、軽妙なやりとりをし、格闘戦も銃撃戦もやりながら、宇宙を股にかけて賞金稼ぎをし、金欠に喘いでいる。
スパイクとジェットは決してベッタリな相棒というわけでなく、折に触れてケンカする。
それは大体こういうやりとりだ。
1・スパイクは自分の過去、特にマフィア時代の恋人ジュリアや友人にしてライバルでもあるビシャス、マフィア時代の人間関係の事柄になると、内縁の妻であるジェットを放って飛び出そうとする。
2・ジェットは一度はそれを止めようとするが、スパイクはその度にスネたガキみたいな屁理屈でジェットを挑発し、突き放す。
3・それにジェットはいちいち年甲斐なくカチンと来て、怒鳴って離別を宣言する。
4・なんやかんやの調査活動や冒険やバトルがあって両者はオズオズと身を寄せ合い、元鞘に戻る
そんなやりとりも、「渋い大人同士のやりとり」「ふっと寄り添いつつもベタベタせず自由に離れる、独立した大人たちの振る舞い」「ルパン三世の一味みたいな関係」として受容され評価されていた気がする。
・・・
あれから何年経ったか覚えていないが、振り返ると、思う。
アニメビバップ、そんな大人っぽいものだったか?
上のケンカのやりとりなんて、今見返すと、とんでもなくガキンチョだ(奇しくもフェイが作中で、ケンカしてるスパイクとジェットを「フン、子供」と挑発している)。スパイクは中学生のような屁理屈を投げつけて家出するし、それを受けるジェットの反応も若すぎる。
作中人物、軽妙なやりとりや余裕ぶった構えをした挙句にヘマったり賞金首を取り逃したり失ったり死にかけたりすることはめちゃくちゃ多くて、「何やってんの」と思う。
スパイクはジークンドーというのかカンフーの名手だが、格闘している間に銃撃戦によって大切なチャンスや人命を失う、ということもめちゃくちゃ多い。そりゃカンフーより銃の方が強い。
虚無の悪魔テロリスト・ヴィンセントとスパイクはめっちゃ殴り合いをするが、殴り合いは派手なだけで互いにゾンビのようにノーダメージのやりとりになり、スパイクはその後殴り合いとは無関係にウイルスで昏倒し、ヴィンセントは殴り合いとは無関係に女の銃で死ぬ。殴り合いが全然役に立ってない。
・・・
私は歳を食って価値観が変わった。
子供の僕は、カッコつけてることがカッコいいことだと思っていた。タバコを吸ったり軽口を言ったりすることをカッコ良さだと思っていた。
今の私は、カッコつけてることより、「何をしているか」によってカッコよさを判断する。
どれだけ見た目にカッコ悪い、無様なことをしていても、その行いに勇気があり、それが未来を招き寄せるなら、それを応援する。
生還を諦めてタバコを吸う姿よりも、諦めずに必死に抗う姿の方をカッコいいと思うし、軽口を言うことより、素直で正直であることや、口をつぐんで仕事を果たすことをカッコいいと思う。
頭を下げない意地より、頭を下げてでも、縋りついてでも大切なものを守る方がカッコいいと思う。
全編見た。
好きだ。
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原作であるアニメ版カウボーイビバップは、結構今でも評価が高いというか、良い思い出として保存され評価されている作品っぽいものであるし、実際私もかつてはファンだった。
が、私の中でアニメビバップには何か釈然としないものが纏わりついており、「アニメビバップとは何だったんだろう」と、アニメが最終回を迎えてからも暫く、振り返ることが結構時々あった。
ある時点からビバップという作品に関して明確な距離が出来て、ある種「どうでもいいもの」になっていたのだが、ビバップ実写化という話を受けて、アニメ版を見返してみたりもして、再びそんなことを思い出すようになった訳なのだ。
(あ、以降はドラマ版もアニメ版もネタバレあるから注意)
子供の頃に触れる機会のあったアニメビバップは、「大人の世界を描く、渋くカッコいいアニメ」という世間の評判というか評価のようなものを、常に纏っていた。
舞台は人々が船で宇宙を行き交う近未来。主人公の賞金稼ぎ・スパイクは20代後半男性。余裕の笑みを口元に漂わせ、つかみどころのない飄々とした性格のようでありながら、マフィアの過去を覆い隠しながら日々を生き、時々その暗い過去がスパイクを突き動かしたりする。
相棒で個人宇宙船ビバップ号のオーナーでもあるジェットは離婚歴ある36歳。過去には刑事で、その時に片腕を失っている。
ふらりとビバップ号に寄生することになった若いやり手賞金稼ぎ女のフェイちゃんは、かつての冷凍睡眠措置により過去の記憶がないという、人生の空白を抱えている。
そういう大人びた面々が、渋く暗い過去を背負いながらそれを覆い隠して、一つの船に寄り合いつつ日々を過ごし、軽妙なやりとりをし、格闘戦も銃撃戦もやりながら、宇宙を股にかけて賞金稼ぎをし、金欠に喘いでいる。
スパイクとジェットは決してベッタリな相棒というわけでなく、折に触れてケンカする。
それは大体こういうやりとりだ。
1・スパイクは自分の過去、特にマフィア時代の恋人ジュリアや友人にしてライバルでもあるビシャス、マフィア時代の人間関係の事柄になると、内縁の妻であるジェットを放って飛び出そうとする。
2・ジェットは一度はそれを止めようとするが、スパイクはその度にスネたガキみたいな屁理屈でジェットを挑発し、突き放す。
3・それにジェットはいちいち年甲斐なくカチンと来て、怒鳴って離別を宣言する。
4・なんやかんやの調査活動や冒険やバトルがあって両者はオズオズと身を寄せ合い、元鞘に戻る
そんなやりとりも、「渋い大人同士のやりとり」「ふっと寄り添いつつもベタベタせず自由に離れる、独立した大人たちの振る舞い」「ルパン三世の一味みたいな関係」として受容され評価されていた気がする。
・・・
あれから何年経ったか覚えていないが、振り返ると、思う。
アニメビバップ、そんな大人っぽいものだったか?
上のケンカのやりとりなんて、今見返すと、とんでもなくガキンチョだ(奇しくもフェイが作中で、ケンカしてるスパイクとジェットを「フン、子供」と挑発している)。スパイクは中学生のような屁理屈を投げつけて家出するし、それを受けるジェットの反応も若すぎる。
作中人物、軽妙なやりとりや余裕ぶった構えをした挙句にヘマったり賞金首を取り逃したり失ったり死にかけたりすることはめちゃくちゃ多くて、「何やってんの」と思う。
スパイクはジークンドーというのかカンフーの名手だが、格闘している間に銃撃戦によって大切なチャンスや人命を失う、ということもめちゃくちゃ多い。そりゃカンフーより銃の方が強い。
虚無の悪魔テロリスト・ヴィンセントとスパイクはめっちゃ殴り合いをするが、殴り合いは派手なだけで互いにゾンビのようにノーダメージのやりとりになり、スパイクはその後殴り合いとは無関係にウイルスで昏倒し、ヴィンセントは殴り合いとは無関係に女の銃で死ぬ。殴り合いが全然役に立ってない。
・・・
私は歳を食って価値観が変わった。
子供の僕は、カッコつけてることがカッコいいことだと思っていた。タバコを吸ったり軽口を言ったりすることをカッコ良さだと思っていた。
今の私は、カッコつけてることより、「何をしているか」によってカッコよさを判断する。
どれだけ見た目にカッコ悪い、無様なことをしていても、その行いに勇気があり、それが未来を招き寄せるなら、それを応援する。
生還を諦めてタバコを吸う姿よりも、諦めずに必死に抗う姿の方をカッコいいと思うし、軽口を言うことより、素直で正直であることや、口をつぐんで仕事を果たすことをカッコいいと思う。
頭を下げない意地より、頭を下げてでも、縋りついてでも大切なものを守る方がカッコいいと思う。
そう思うと、アニメビバップ作中に散りばめられた小粋っぽいやりとりや大人のそぶりが、カッコいいものというよりむしろ、上っ滑りのカッコつけに見えてきてしまう。
というか、スパイクの服装も、よく見るとなんかよくわからんスーツだ。
さらに言えば、スパイクはモジャモジャのルパン三世だし、仇敵ビシャスは五ヱ門を白髪にしてハーロックの鳥を肩に乗せた、よくわからん合成物だ。
さらに言えば、スパイクはモジャモジャのルパン三世だし、仇敵ビシャスは五ヱ門を白髪にしてハーロックの鳥を肩に乗せた、よくわからん合成物だ。
・・・
そんな訳で、長い年月を経てアニメビバップを振り返ると、私は切なくなってしまうのだ。
ココアシガレットという駄菓子がある。なんか色と味のついたチョークみたいな奴で美味しい訳でもないのだが、「タバコの見た目」に大人っぽさという価値が生じている、子供むけのおもちゃのようなもの。
大人向けのタバコそのものではなく、子供用の商品。背伸び。子供にとっての大人向け。
アニメビバップも、そういう「子供にとっての大人向け」の一つだったのだ。
このようなことを私は、歳を食って、どっかでパチスロのポスターになったスパイクの絵を見た時に、落雷のように直感し、それによって私の中でビバップにケリがつき、私はビバップのことを忘れたのだ。
・・・
そして今。私は実写版ビバップを見た。
…とても良かった。
アニメビバップで得た「釈然としなさ」に対する、一つの強い回答を得た思いがしたのだ。
・・・
アニメ版の最終回近辺を振り返る。スパイクが過去に所属していたマフィア組織にてビシャスによるクーデター的ななんかが起こり、内部抗争の嵐が吹き荒れ、スパイクの旧知の恩人はバリバリ殺され、さらには、長年探していた昔の恋人・ジュリアを、やっとこ会ったと思ったところで、内部抗争の煽りを喰らって目の前であっさり殺されてしまう。ビバップ号に一度戻ったスパイクはジェットの手料理を食べると、ビシャスのいるマフィアビルへ討ち入りに行き、ビシャスとの壮絶な戦いの末、帰還することなく命を落とす。
視聴者である私たち(主語がでかい)は深い悲しみを感じた。「ああ、もうこれで、ビバップ号のみんなとはお別れなのか」と。
また、こうも思った。「スパイクは過去の女ために現在を諦めた人間なのか」などと。「スパイクの個人戦闘機ソードフィッシュ号についてるレーザー砲でビシャスの居るビルを遠くから焼き討ちすればスパイクは死なずに済んだのでは」とかも思った。(今振り返れば「別にこいつら今更殺し合う必要なくねーか」とも思う。)
みんな、どう思った?
結構凹んだ筈だ。
何故凹んだんだろう。
主人公が「死んだから」凹んだ?
違う。「納得いかずに死んだから」凹むのだ。
私はこういう仮説を立てた。
僕らが愛していたアニメビバップは、スパイクたちがビバップ号の中でヘラヘラ毎日を過ごす様子だったのではないか。
そして、その当の本人のスパイクが、ビバップ号での生活を否定するように放り捨ててしまったから、視聴者は凹んだのではないか。
アニメのスパイクはアニメを否定して命を終えてしまった。
主人公が、我々が楽しんだ世界から自分で立ち去ってしまった。主人公は、我々の愛した世界を捨てたのだ。
だから我々は凹んだんだ…
だからアニメ全体に釈然としないのだ…
と。
アニメビバップの、ビバップ号の面々(スパイク、ジェット、フェイ)は、今思うに「自分の愛に素直に従うことのできない人たち」「愛の手を伸ばしきれない/掴みきれない人たち」だった。
スパイクは、いざとなるとジェットにガキみたいなケンカを売って離れていく。
ジェットも離れていくスパイクの挑発にあっさり乗って、出ていくスパイクを引き止められない。
フェイちゃんも、素直じゃないから擬似家族のようなビバップ号から自分で離れたりする。「自分の家はここしかなかった」と自覚してビバップ号に戻ってきた時には、スパイクは目の前で命を失う戦いへと出発してしまう。それを引き止められず、涙を流すフェイ。フェイは悲しい女だ。家族の元にいたいという、自分の求める幸せを、享受していた時には自覚できておらず、自覚した時には失う。
登場人物の誰もが、70度のお湯のように、愛の熱が微妙に足りない。ラーメンを茹でるには足りない熱。それにより誰もが、目の前にいる愛する人をみすみす失っていく。
・・・実写ビバップは違う。
皆の愛の熱が、ちょっと高い。90度くらいに高い。ラーメンが茹だる熱。
何よりの違いは…ジェットが優しい。
ジェットはスパイクに対しても優しいし、成り行きで舞い込んできたフェイに対しては、まるで娘のことを心配する父親のように、優しい。
ジェットはドラマでは娘がおり、父親なのだが、その父親性がビバップ号全体にナチュラルに発揮されている。
そんな訳で、長い年月を経てアニメビバップを振り返ると、私は切なくなってしまうのだ。
ココアシガレットという駄菓子がある。なんか色と味のついたチョークみたいな奴で美味しい訳でもないのだが、「タバコの見た目」に大人っぽさという価値が生じている、子供むけのおもちゃのようなもの。
大人向けのタバコそのものではなく、子供用の商品。背伸び。子供にとっての大人向け。
アニメビバップも、そういう「子供にとっての大人向け」の一つだったのだ。
このようなことを私は、歳を食って、どっかでパチスロのポスターになったスパイクの絵を見た時に、落雷のように直感し、それによって私の中でビバップにケリがつき、私はビバップのことを忘れたのだ。
・・・
そして今。私は実写版ビバップを見た。
…とても良かった。
アニメビバップで得た「釈然としなさ」に対する、一つの強い回答を得た思いがしたのだ。
・・・
アニメ版の最終回近辺を振り返る。スパイクが過去に所属していたマフィア組織にてビシャスによるクーデター的ななんかが起こり、内部抗争の嵐が吹き荒れ、スパイクの旧知の恩人はバリバリ殺され、さらには、長年探していた昔の恋人・ジュリアを、やっとこ会ったと思ったところで、内部抗争の煽りを喰らって目の前であっさり殺されてしまう。ビバップ号に一度戻ったスパイクはジェットの手料理を食べると、ビシャスのいるマフィアビルへ討ち入りに行き、ビシャスとの壮絶な戦いの末、帰還することなく命を落とす。
視聴者である私たち(主語がでかい)は深い悲しみを感じた。「ああ、もうこれで、ビバップ号のみんなとはお別れなのか」と。
また、こうも思った。「スパイクは過去の女ために現在を諦めた人間なのか」などと。「スパイクの個人戦闘機ソードフィッシュ号についてるレーザー砲でビシャスの居るビルを遠くから焼き討ちすればスパイクは死なずに済んだのでは」とかも思った。(今振り返れば「別にこいつら今更殺し合う必要なくねーか」とも思う。)
みんな、どう思った?
結構凹んだ筈だ。
何故凹んだんだろう。
主人公が「死んだから」凹んだ?
違う。「納得いかずに死んだから」凹むのだ。
私はこういう仮説を立てた。
僕らが愛していたアニメビバップは、スパイクたちがビバップ号の中でヘラヘラ毎日を過ごす様子だったのではないか。
そして、その当の本人のスパイクが、ビバップ号での生活を否定するように放り捨ててしまったから、視聴者は凹んだのではないか。
アニメのスパイクはアニメを否定して命を終えてしまった。
主人公が、我々が楽しんだ世界から自分で立ち去ってしまった。主人公は、我々の愛した世界を捨てたのだ。
だから我々は凹んだんだ…
だからアニメ全体に釈然としないのだ…
と。
アニメビバップの、ビバップ号の面々(スパイク、ジェット、フェイ)は、今思うに「自分の愛に素直に従うことのできない人たち」「愛の手を伸ばしきれない/掴みきれない人たち」だった。
スパイクは、いざとなるとジェットにガキみたいなケンカを売って離れていく。
ジェットも離れていくスパイクの挑発にあっさり乗って、出ていくスパイクを引き止められない。
フェイちゃんも、素直じゃないから擬似家族のようなビバップ号から自分で離れたりする。「自分の家はここしかなかった」と自覚してビバップ号に戻ってきた時には、スパイクは目の前で命を失う戦いへと出発してしまう。それを引き止められず、涙を流すフェイ。フェイは悲しい女だ。家族の元にいたいという、自分の求める幸せを、享受していた時には自覚できておらず、自覚した時には失う。
登場人物の誰もが、70度のお湯のように、愛の熱が微妙に足りない。ラーメンを茹でるには足りない熱。それにより誰もが、目の前にいる愛する人をみすみす失っていく。
・・・実写ビバップは違う。
皆の愛の熱が、ちょっと高い。90度くらいに高い。ラーメンが茹だる熱。
何よりの違いは…ジェットが優しい。
ジェットはスパイクに対しても優しいし、成り行きで舞い込んできたフェイに対しては、まるで娘のことを心配する父親のように、優しい。
ジェットはドラマでは娘がおり、父親なのだが、その父親性がビバップ号全体にナチュラルに発揮されている。
ジェットは一人で行こうとするスパイクを決して一人にしない。力に訴えてもスパイクを引き止める。
そして終盤、スパイクが消えた際、自分の過去の手がかりを掴んだフェイに対してジェットは言う。
「アイツを連れ戻したら、必ず付き合う、とことんまで。調べよう。3人で。」
ジェットの優しさ。それに呼応するように、フェイはジェットに対して素直に心を開く。実写のフェイは素直だ。
私は泣きそうになった。
私は、こんな素直なフェイが見たかった。幸せそうなフェイが見たかったんだ。
そしてジェット。
ジェットの愛の熱が、ビバップ号クルーを手繰り寄せ、繋ぎ止めている。
私は、こんな大人なジェットが見たかった。死地に向かおうとするスパイクを決して一人で行かせない、そんなジェットが見たかったんだ。
とある回、記憶の手がかりを得られず落ち込んでいるフェイを、スパイクとジェットはボーリング場に連れて行き、そして誕生日を祝う。スパイクとジェットはケーキの前で悪ノリでハッピバースデーを歌い、フェイはめちゃくちゃ困りながらそれを受ける。
スパイクのちょっと浮世離れした、フワフワと余裕ぶった態度は、ちょっとしたさじ加減で、悪ノリできるひょうきんな大人っぷり、余裕のある善意の大人っぷりを発揮する。
スパイクが終盤、マフィアとの争いが避けられなくなりビバップ号から離れていく時。それはビバップ号の面々を血生臭い争いに巻き込まないための配慮だ。
私は、こんなスパイクが見たかった。死と孤独と虚無に纏わりつかれていないスパイクを見たかった。
アニメビバップのビバップ号の面々にはドライな所、「つかず離れず」なところがある。そして、そのドライさのようなものに縛られるように、ビバップ号の面々は肝心なところで互いを引き止められず、散っていく。アニメビバップを概念として突き詰めると、彼らは必ず、散る。くっつくことができない。
実写ビバップは、多少ウェットになっている。3人の愛への素直さにより、3人は散り散りにならない。
そして、アニメビバップで我々(主語がでかい)が楽しんでいたものこそ、この3人の、ウェットな部分、繋がっていた部分、そしてその終わらない日常だったのではないだろうか。アニメビバップの概念性が不徹底な部分、そこが好きだったのではないか。
実写ビバップは、見たい3人を見せてくれたのだ。生きて元気にやっている3人を。目の前の愛と幸せと日常の楽しみを取り逃がさない3人を。
だから私は実写ビバップが好きだ。世界の誰が何と言おうと関係なく好きになった。世間の評価なんてどうでもいいことだ。
そして、期待してしまう。実写ビバップは、スパイクとジェットとフェイ、この3人の、アニメビバップとは違う結末を見せてくれるのではないか。
2期には期待している。
なんか今日、「実写2期は中止」みたいなニュースがあったけど、公式が何と言おうと関係なく期待しているし、妄想している。公式の発表なんて、これもどうでもいいことだ。
そして終盤、スパイクが消えた際、自分の過去の手がかりを掴んだフェイに対してジェットは言う。
「アイツを連れ戻したら、必ず付き合う、とことんまで。調べよう。3人で。」
ジェットの優しさ。それに呼応するように、フェイはジェットに対して素直に心を開く。実写のフェイは素直だ。
私は泣きそうになった。
私は、こんな素直なフェイが見たかった。幸せそうなフェイが見たかったんだ。
そしてジェット。
ジェットの愛の熱が、ビバップ号クルーを手繰り寄せ、繋ぎ止めている。
私は、こんな大人なジェットが見たかった。死地に向かおうとするスパイクを決して一人で行かせない、そんなジェットが見たかったんだ。
とある回、記憶の手がかりを得られず落ち込んでいるフェイを、スパイクとジェットはボーリング場に連れて行き、そして誕生日を祝う。スパイクとジェットはケーキの前で悪ノリでハッピバースデーを歌い、フェイはめちゃくちゃ困りながらそれを受ける。
スパイクのちょっと浮世離れした、フワフワと余裕ぶった態度は、ちょっとしたさじ加減で、悪ノリできるひょうきんな大人っぷり、余裕のある善意の大人っぷりを発揮する。
スパイクが終盤、マフィアとの争いが避けられなくなりビバップ号から離れていく時。それはビバップ号の面々を血生臭い争いに巻き込まないための配慮だ。
私は、こんなスパイクが見たかった。死と孤独と虚無に纏わりつかれていないスパイクを見たかった。
アニメビバップのビバップ号の面々にはドライな所、「つかず離れず」なところがある。そして、そのドライさのようなものに縛られるように、ビバップ号の面々は肝心なところで互いを引き止められず、散っていく。アニメビバップを概念として突き詰めると、彼らは必ず、散る。くっつくことができない。
実写ビバップは、多少ウェットになっている。3人の愛への素直さにより、3人は散り散りにならない。
そして、アニメビバップで我々(主語がでかい)が楽しんでいたものこそ、この3人の、ウェットな部分、繋がっていた部分、そしてその終わらない日常だったのではないだろうか。アニメビバップの概念性が不徹底な部分、そこが好きだったのではないか。
実写ビバップは、見たい3人を見せてくれたのだ。生きて元気にやっている3人を。目の前の愛と幸せと日常の楽しみを取り逃がさない3人を。
だから私は実写ビバップが好きだ。世界の誰が何と言おうと関係なく好きになった。世間の評価なんてどうでもいいことだ。
そして、期待してしまう。実写ビバップは、スパイクとジェットとフェイ、この3人の、アニメビバップとは違う結末を見せてくれるのではないか。
2期には期待している。
なんか今日、「実写2期は中止」みたいなニュースがあったけど、公式が何と言おうと関係なく期待しているし、妄想している。公式の発表なんて、これもどうでもいいことだ。