ビフィダス牧場

サークルyogurt、ビフィダスの活動報告場です

コラム

初単行本『キミを誘う疼き穴』、発売は1月17日です!よろしくね!
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今回は、備忘を兼ねて、単行本作業を振り返りたいと思います。
今後、スケベまんがデビューしたいとか、本を出したいとかいう方に、なんか御一助になればと思います。

ちなみに、収録作品と順序はこうなります。
・奥宮さんはお手洗いにいる (12月号) 最新作。OLだ。
・ゆり姉との主従関係 (8月号) OLの変則おねショタだ。
・松原さんと温泉で (9月号) 温泉浴衣だ。
・雨宿りのミカ (11月号) 変則学生モノだ。
・バナナセーキガールズ (2月号) カラーだ。学生だ。
・ヒカリさん開発日誌 (5月号) 主婦だ。
・陸上部ランちゃんの憂鬱 (6月号) 陸上部だ。
・公衆便所の花澤さん (3月号) 学生だ。
・センパイ・ビフォーアフター (1月号) 大学生だ。
・原田さんの帰り道  (11月号) デビュー作。学生だ。
(振り返ってみると1年1ヶ月で一冊分の原稿が溜まった形になる。比較的早いペースらしい。) 

・本を売らないと作家には想像だにしなかったくるしみが待つ
作家は、本を売りたい。
何故か。
これは、作家がいざデビューしようという時にあらゆる場所の編集さんから何らかの形で必ず聞く話らしいので、ここで書いても害はあるまいと判断したので書く。
本が売れないと、作家の名前は何か(卸業だったか)のブラックリスト的なサムシングに載る。
そうすると、流通期待値を見くびられて次の印刷部数を制限される。
もしくは「そのペンネームは使えないので名前変えて下さい」みたいなことを言われる。
もしくは、ブラックリストから名前が消えるのが二年らしいので(聞いた話だ)、名前を変えたくないなら本の出版を二年、待たされることになる。
これは嫌な気分だろう(これを聞いたときには僕も嫌な気分になった)。
無論、作家人生の終わりなどでは全くないのだが(これは後述する。絶望することはない)、ただ、作家として作品を作る上の必須属性である「鼻っ柱」は、へし折られる。ヘコむだろう。
だから、作家は、自分の本が一部でも多くの読者の方に届くように必死こいて作品を仕上げていくし、
編集さんは、作家の本が一人でも多くの読者の方に届くように、必死に内容を整えて、プロモーションして、営業かけたりするのである。

作家は必死だ。編集さんも必死だ。少なくともエンクラの私の編集さんはものすごく力を割いて下さった。昨日知らされた書店特典の充実を見て僕は泣いた。だから私も頑張ります。よろしくね!

・単行本のタイトルを決めよう
さて、作品を単行本にまとめる上で、慎重に考えなくてはならない最大要素は二つ、
「タイトル」と「表紙」です。
これをどう決めるかに関しては、編集さんと入念な打ち合わせをし、何度もリテイクした。
編集さんは、当然、「自分の雑誌で売れてきたパターン」とか「今の時勢のデータ」とかいったものをノウハウとして持っていて、
それを作家に伝えながら、共に本を作り上げて売っていくことになる。

出版社ごとに、このノウハウは違うだろう。
例えばエンジェル倶楽部で「妖艶ママ油地獄」というタイトルをつけたとして(架空です)、
LOで「妖艶少女油地獄」とかいうタイトルで本を売って売れるとは考えづらいし、
LOで「おさなづまとあわわックス」というタイトルをつけたとして(架空です)、
エンクラで「うれうれママンとあわわックス」が売れるとは考えづらい。
タイトルに明確な属性(主婦とか、JKとか、純愛だとか不倫だとか)を入れたほうが読者に内容が伝わるので売れてきた、というノウハウを形成している出版社もあれば、
タイトルがぼやっと抽象的なものでも売れてきた、というノウハウを持った出版社もあるだろう。
そもそも売れても売れなくても構わん、気にしてない、という出版社もあるらしく、そこは作家が不幸になりそうだからあんまよくない気がする(こういう場所もあるらしいので、気をつけたい)。
そんな感じで、各出版社で思想があると思うので、作家さんは編集さんにそういう傾向とか指針を聞くことになる。

僕の場合はかなり困った状況になった。
上を見れば分かるとおり、今回の単行本収録分の作品は、お姉さん系と、学生系が、半々くらいに分かれている。
そのお陰で、本のタイトルに、属性として「お姉さん」とか「学生」とかいった言葉が使えなくなった。
「OL」とか「主婦」とかも使えない。
このときは頭を抱えたが、結果的には相談して判断し、そういった言葉を含めない形になった。というのも、私の作品全体を通して、ある芯柱があったからだ。これが属性言語の代わりになり、表題に取り入れられた(当ててみてね!)。
属性を定めることは、ウリをはっきりさせる一方で、客層を「絞る」可能性がある。
属性を定めないことは、客層を絞らない一方で、内容が想像しづらいという意味で訴求力を失う可能性がある。
取捨選択だ。
僕は取捨選択した。
他にも、このタイトルを決めるまでは様々な取捨選択を行い、最終的に決定をした。
人生を後悔無く生きる秘訣というのを、この難航した表題決定作業からしみじみと感じている。
つまり、人生の全ての事柄において、自分で決断する限りは、後悔が無い。
そして、自分で決断する限りは、事前に想定されるあらゆるリスクを想定し、洗い出し、検討しておかねばならない(これがないと、弱ってる時に他人の口車にのって全財産をスッたりするから本当気をつけよう)
「この道を行くとこういう利点とリスクがある」。「この道を行くとこうなる」。十分にそれを想定する。その為に自分で考えるだけでなく、信頼できる人がいれば知恵も借りる。想定できない事柄に関しては最早神の采配の領域なので、覚悟する。そして、心が決まったら、進む。
編集さんとの長い長い相談は、この「事前に想定されるリスクの洗い出し」だったと言える。

兎に角、結果として私の単行本の表題は決まった。
自分で納得して決めたので、ズッコケてから誰かを呪うようなことは無いと思う。

ちなみに、私の単行本収録作品が、学生と非学生で半々であること、これも選択の結果だ。敢えて内容を散らすことを選んだ。
その報いを単行本作業で受けて、表題決めの時にはかなりクヨクヨしていたが、
今振り返ると、内容を散らしたことは間違いではなかったとも思っている。今後どうするかはまだ判断に迷っているが、そろそろ決心がつくだろう。

・表紙を決めよう
これに関しても、様々なノウハウがあった。
このノウハウは、編集さんと相談する以前に、作家さんとの雑談の中で獲得してきた。
これに関してはあまり公言する話ではないので、知りたいときにはどなたか作家先生にコンタクトを取ってみて聞いてみて下さい。素敵な話が沢山聞けると思う。
ちなみに、僕は表紙候補を三つ用意するよう言われていたが、最初から今の案(A案としよう)で行く気まんまんだった。
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他の作家さんに見せたら、B案やC案がいいという声も挙がった。
だが僕はA一択だと思ったし、Aで外れても後悔が無いと思った。編集さんもA案だった。

・ちなみに
ブラックリスト的なものに載っても、他社に持ち込みをかけて、あっさりペンネームを維持したままエロ漫画の最高峰の場所で作品を描き続けている作家先生が現にいる。
何となくだが、作家の人生軌道を決めるものというのは、当人の持つ画力だとか売れ方だとか以上に、
作家の個性的魅力だとか、人間的行動力だとか、タフさだとか、あと人の繋がりだとか、そういうもんなんじゃないかと思わされる。無論、運とかめぐり合わせとかもあるのだろうけれど。

こんにちは、エロ描く方のビフィダスFです。
1月17日発売『キミを誘う疼き穴』よろしくね!
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↑カラー作品に出てきたエーコたゃんという子。胸が凄くでかくて、おっとり系かと思ったらガンガン行く奴で、相方のシーちゃんはイケイケ系かと思ったらビビる奴だった。
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さて、書店特典情報が出揃いましたので、紹介させて頂きます!
エンジェル倶楽部編集部公式ブログ 『キミを誘う疼き穴/ビフィダス』書店特典情報!!
↑公式発表&詳細はこちら!下記画像は当公式ブログよりお借りしました。

1・とくせいイラストカード
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多くの書店さん(配布書店は上記エンジェル公式ブログ参照!)にて付く、とくせいイラストカードです。先着順ですって!
この絵、つまり作中に出てくる内の、比較的若い方の女主人公4人の姿となります。左から順番に、ミカちゃん、花澤さん、ランちゃん、原田さんという。単行本の巻頭ピンナップを飾ります。多くが学生ですが、一人だけ学生じゃない子が混じっている。誰でしょう。本編読んで確かみてみてね!
この絵は本来、よく単行本とかで書き下ろされる、全ヒロインが一つの部屋で痴態を繰り広げる見開き集合絵にしようと思っていたものだった。
が、痴態を演じさせる為に彼女らを全員ひとつの部屋に集めようとして、絶望的な事実に気づいた。
こいつら、一つの部屋に集めると、お互いの存在を意識しすぎちゃって、痴態を繰り広げるどころじゃない。
そもそもこの子たちはセックルをひそやかな営みと考えているので、集団の中でヤるとか、はたまた集団の中で一人のどこぞの馬の骨のトゥインクル(陰茎の隠語)に涎をたらす、なんてことは有り得ないのだった。
結局、四人は別々のパーソナルスペースで、カメラの向こうの誰か相手に、誘うようなしぐさを見せることになった。
カメラの向こうの誰かとは貴方だ。

2・スティックポスター
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限られたお店(対象書店は上のブログ参照!)で、先着順で配布される様子だ。数に限りがありますって!
よく、書店とかで貼られるアイテムを、こうして付けて下さるのだそうだ。ワー!
スティックポスター、考えたら僕はまだ見てない。今度しょてんで探してみよう。あったら嬉しくて失禁しそう。

3・書き下ろしリーフレット
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こちらは、大恩あるとらのあな様の購入特典であるとくせい4Pリーフレットだ。先着順だよ!
「公衆便所の花澤さん」(冒頭サンプルがあった)という、自分で気に入っている作品の、後日談です。
「花澤さんのはじめて」というタイトルだよ。何の初めてなのだろう。
コミケ直前の状態で必死こいて描いたので、興味のある方は是非!
メロンブックスさんからとくてんの依頼があるかと思ったら無かった。
だが僕はメロンブックスさんにも大恩があるマンなので、二冊目出す時はビッグなマンになってメロンさんを振り向かせて見せると誓った。おれは誓ったらやり遂げるマンだからやり遂げる。

4・とくせい複製原画
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これは、大恩あるオータムリーフ様の購入特典だ。こちらも先着順だよ!
オータムリーフという書店は秋葉原の中心地近くにダンジョンめいて存在するほんやさんで、二階とか行くとき特にダンジョンだから、観光がてら行くべきパワースポットだ。
(昔は、更なる秋葉原の深層ダンジョンスポットにダンジョンブックスという書店があり、魔界めいたダンジョン性があったが、前の大地震の後になくなってしまった。だがダンジョンそのものはまだ存在する。クールジャパンでは永遠に取り上げられないミスティックジャパンがここに有る。行くべきだ。昔はここにキャットファイト場とかあった。)
こちらは複製原画です。この人は奥宮さんという女の子で、普段は髪の毛ひっつめて働いているがトイレでオーナニしてる子だ。雑誌掲載時にものすごく作品人気が高かった。今回は巻頭を勤めて下さる。

5・とくせいクリアファイル
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秋葉原の表玄関、ラジオ会館さん二階に佇むK-BOOKS秋葉原新館様でのこうにゅう特典です。先着順だよ!
左の女の子はヒカリさんという主婦だ。ぽっちゃり箱入り娘で、眉毛が太くて、新婚さんなのに夫とのセックルが痛くてご無沙汰になってしまったという、ちょっと生々しい事情を抱えた子で、この子の事情を考えると自分の胸が痛い。
K-BOOKS秋葉原新館様では、僕が描いた色紙も展示してくださるそうだ。大恩が出来た。
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新年一発目に描いた色紙です。見かけたらよろしくね!


以上です。よろしくおねがいします!!

ちなみに、表紙を勤めている女の子は、温泉話の松原さんという子だ。この子の話も、掲載時に人気がものすごく高かった。この作品の人気がものすごく高かったというのは極めて特異なことだと考えている。全くエンジェル倶楽部らしからざる作品だからだ。この雑誌の懐の深さを思う。
あと、表紙カバーを外して本体をむき出しにすると、松原さんのもう一つの姿が描かれています。気になった方は表紙カバーを外してみてくださいね。

初単行本『キミを誘う疼き穴』発売は1月17日だよ!よろしくね!
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↑花澤さんという子。個人的に物凄く気に入っている人物です。
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さて、前回に続きまして、商業誌でマンガを描き始めてからあったことを
記憶をほじくり返しつつ描いていきます。
今回は、編集さんに関するお話です。

●編集さんのチェックあれこれ
基本的に、作家は次回作のアイデアとかを出したら編集さんに提出して、話を見てもらって、「OKです」とか「ここ、もうちょっとこうしましょう」とか言われた上で、作品へと仕上げていく。
「他人の目を介在させる」というのは物凄く意味のあることだ。
無論、作家単体でも、自分の中に他人の目を作り出して自作品をクールに精査しなければならないのではあるが、
それでも一人の人間には限界があるので、編集さんという他人の目にチェックして貰う訳である。

マンガを作り上げる際の各段階で、適宜、こんな感じでチェックを入れてもらってきた。
・キャラデザ&構想段階
←例えば、駆け出しの新人が「カレー屋さんでバイトしてる女子が間違えて香辛料のついた指で尻穴触っちゃってヒーコラ言ってるうちに興奮してきて店主と香辛料セックルする」という作品構想を伝えたりすると、編集さんから「まだビフィダスさんは掲載初期なので、冒険的なことをすると理解が得られない危険があるので止めた方がいいかもしれません」とか言われたりする。
・プロット段階(作品の展開と対応ページ数の目安を、文字で書き表したもの。おおまかな台本。)
←例えばエロに入るまでにダラダラとページを割きすぎたり、エロシーンが短くなってしまったりしていると、「導入をもうちょい詰めてください、最低でも5P目にはエロ要素を出してほしいです」とか「エロ増やしましょう」とか言われる。
・ネーム段階(プロットを絵にして実際にページに大雑把に書き出したもの。)
←例えば、似たようなコマ組み・展開が連続していたりしていると、「ここ、画面構成が被っちゃっているので変えて行きましょう」とか言われる。あと、キャラクターの描写やセリフが理解しづらいとかいった時には、修正が入る。
・作画段階
←例えば、「もうちょっと線にメリハリが付くと、画面が垢抜けてくるかもしれません」とか「ここ、線の汚れっぽいですが大丈夫ですか?」とか言われる。

さて、エンジェル倶楽部誌にて定期的な掲載をすることになって、編集さんに適宜アドバイスを貰いながらシコシコを作品を製作し掲載していく中、私は徐々に不安になりもしていた。
編集さんのチェックが入るということは、自分の作品が商業誌に掲載してOKなレベルにあるというある種の品質保証にはなっているかもしれない。
だが、編集さんは50点以下の箇所を70点にまで引き上げてくれても、70点のものを100点に引き上げるまではしてくれないのではないか。そもそも、編集さんの指導が天網恢恢だったら、この世に出るマンガ作品は全て大ヒットだ。だが現実はそうではない。
だから、そこのところは作家が自分で尻に鞭打っていかないとダメくさいのだ。安住してちゃいけない。
そう思って、自分でかなりオタオタしていたように思う。

そんなある時、提出したネームに、電話口にて明確なNOを突きつけられたことがあった。 
このときのことは覚えている。
編集さん今回のネーム、ちょっと問題を感じまして
「ぎょ、どこでしょうか」
編集さん普段のビフィダスさんの作品だと、出てくる女の子の人物や性格が伝わってくるのですが、今回それが伝わってこなかったんです。
雷に打たれたような思いだった。
というのも、 その時提出したネームは、「エロ密度を高めよう」とオタオタ画策して、予定していた導入部を削ってエロにわざと差し替えたものだったのだ。
オタオタした部分が編集さんにそのままバレた。
私は速攻で「わかりました、導入部を修正します」と言って、速攻でネームを修正して送り、OKを頂戴した。
そしてこの時に、「編集さんは作家の特徴とか魅力とかいったことをちゃんと理解してくださっているのだ…!」と、感動したのだった。
しかし、これは同時にリスキーなことでもあるぞ、とも思った。編集さんの言葉で作家が自分の作品方向を規定するというのは、自分で自分を縛ってしまうこととも言えるからだ。自分の魅力とか本領というのはどこにあるか分からないし、得意技は一つに絞らなくてもいい、二つ三つあってもいい筈だ。だから、あくまで一つの指針としてこの言葉を受け取ろう、ということになった。まあ、「単行本1.7冊分くらいは一つの方向性でガンガン行っていい」と古事記にも書いてあるので、あんまオタオタすることはないのだろうけど。

こんなこともあった。
女の子二人が男とナニする話のネームを描いていて、やはり電話を頂戴した。
編集さん「ここ、ランちゃんからほのかちゃんに、その、なんかアクションは無いんですかね」
「へえ(ピンと来てない)」
編集さん「例えば嫉妬するとか、なんかあるといいと思うんです」
「はあ(ピンと来てない)」
このやり取りは何を意味していたのか。
後々になってその意味がわかった。
こういうことだ。
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通常、スケベというのは男一人と女一人の間で営まれる。互いに感情があり、スケベの中でその感情が姿を現したり姿を隠したり姿を変えたりする。
だが、3人が絡むのなら、人間の心のやりとりは、男⇔女1、男⇔女2だけでなく、女の子同士の間にもある筈だ。
というか、なきゃおかしい。普通ある。
そこを描いてくれ、と言われていたのだな。 
理解力が追いついた時、私は呻いた。その通りすぎる。 

マンガのプロである編集さんの目は、50点以下になっている部分に適切に突き刺さるのだ。
そして、こういう指導を重ねるうちに、作家が自分で50点以下の部分に気づくようになっていくのだろう。

●打ち合わせと「作品の理想像」
若い作家さんとおしゃべりしたりしていると、打ち合わせの中で自作品に対し編集さんにダメ出しされたりリテイクを要求されて、すごく落ち込んだり迷ったりするケースというのがある様子だ。
そしてその時に、編集さんにあれこれアイデアを言われてしまい、そのアイデアを自作品に折衷できるか分からなくてまた悩む、というように。

だが、作品の理想像というか着地点というのは、無論作家にも、そして編集さんにもおぼろげにしか見えていないに違いない。
トゲの丸まった三角形のような叩き台がある時に、編集さんのなんとなく思い描く理想像が「丸」だとして、編集さんが「トゲを削ってみたら?」とアイデアを出すとする。だが、丸にしたいなら、「凹み部分に肉を盛る」仕方でも丸に出来る。作家からは、「じゃあこっちに肉を盛るってのはどうでしょう」とか言える訳だ。
逆に、尖った三角形にするという理想像もあるかもしれない。そういう場合、「もっと角をとがらせてみるってのはどうでしょう」と、作家は編集さんに持ちかけることができる。編集さんは「あっ、三角形を目指す方向なのね」と分かる。 三角形が売れないというのなら却下されるだろうけど。
「トゲを削ってみたら?」というアイデアは、幾つかの理想像の内の一つに向けての、幾つかの方法の内の一提案な訳なのだ。

肝要なことは、作家が自我を猪突猛進に突き通すことでもなければ編集さんに嫌われないようにオタオタ擦り寄ることでもなく、「その作品がピシッとすること」「その作品が本領を発揮すること」に違いない。
だから作家と編集さんは、その「ピシッ」に向けてあれこれとアイデアを出し合えて、互いにあれこれと検討して、一番拡張性が高そうなものを探り出していき、最終的に作家が十分に納得するに至り、新作という拳を構えて世界に向けて殴りかかる、というのが生産的なんだろうなあ、と思う。

こんにちは、エロ描く方のビフィダスFです。
1月17日に単行本が出るので、18歳以上の方はよろしくね!
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書店特典情報も出揃ったらお知らせします。

さて、今回は折角の機会なので、備忘がてら、これまでのことを少し振り返って整理したいと思います。
一昨年の夏でしたか、私が『エンジェル倶楽部』誌(全世界に読まれるべき成年向け雑誌)にスカウトされてデビューしたあたりの記憶をほじくり返しながら、何があってどういう考え方をしていたのかということをまとめたく思います。
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●マンガは異種格闘技戦
一般的に、イラストとかマンガとかに関しては「絵が上手い人がつよい」と考えられているし、実際私もそれに悩まされてゲロ吐いたりしている。
だが、実際のところはそうでもない。かもしれない。
個人的に、マンガというのは互いに組成の異なる動物どうしの異種格闘技戦場のようなものだと考えている。
一方で脊椎動物であるシュワルツェネッガーが鎧を着こんで大剣を振り回し、一方で巨大なタコが太い触手をくねらせてシカとか巨木とかをなぎ倒している。
「骨格がないので触手攻撃に特化しました」みたいな戦い方が一定の仕方で出来るし、一定の仕方で許されるのだ。
作品魅力というのは多層的だ。絵ぢからというのはその多層性の中の、有力であるが限定的な一契機ということなのだろう。
作家固有の魅力というのはどこに何が埋まっているかわからないし、自分の中の何かと何かを組み合わせたら最高のブレンドが出来てしまった、とか、そういうことがある。
その何かを探しながら、もしくはその何かを掴みながら、作家さんはみんな日々を泳いでいる……。
何が言いたいかというと、つまり、自分がシュワルじゃないからっていちいちゲロ吐かなくていいのかもしれないってことです。

…他にも、こういう考え方もある。

●作家のアビリティ運用いろいろ
大まかに言って、作家を構成するアビリティにはこういったものがある。
・作画力。絵の上手さや緻密さだ。
・生産性。筆の速さだ。
・自己管理。アイデアが尽きたり創作意欲が不調にならないような方法論を確立できているかどうかだ。
・コミュ力。アシスタントさんを使える力だ。
・特異性。目立つかどうかだ。
このあたりの力量は人によってまちまちで、各人がそのまちまちのリソースを割り振って、己の創作スタイルを一定の形に定めていく。
作画力を上げた結果、生産性を下げてしまった人は、寡作になり貧困に喘ぎそうなムードだ。
作画力が高くて生産性を維持したい人は自己管理力かコミュ力を高水準に高めないといけない。つまり、過労か、アシさんを雇うかだ。健康ないし預金口座を危険に晒す。作業形態がライフスタイルやメンタリティに合わないということは絶対出てくる。
アシさん使って生産性を一定以上高める時に、作画行程を画一化する方法を取ってしまうと、中長期的に絵柄が劣化したりしそう、なんて懸念もある(ここんとこ皆さんどうしてるんだろ)。
求められるジャンルによっては、画力の高さがジャマということもある。とあるギャグマンガは、連載を続けるうちに作画が「フツーに上手くなり」すぎて、結果として絵面の面白みがなくなってしまった。
また、生産性が無闇に高いのも問題だ。飽きられかねない。個人的に、筆の速さというのは画力以上の価値があると思っているのだが、運用法を間違えると不味い能力だとも思っている。
特異性というのはさらに運用が厄介だ。何故なら本人の力量の問題というより、本人が身をおく環境に対する本人の対応力、のようなものだからだ。これ、「画力が高い人」を一定の仕方で縊り殺していく機構だと思う。絵が現代的で上手い作家を雑誌に集めたなら、その「現代的な上手さ」が平均値になってしまう。森の中に木が混じるようなものだ。まず、自分の存在は埋もれる。クラスで一番マンガの上手かった子が、少年プンジャ増刷に載ったら全然パッとしなかった、なんてこと、あるだろう。そういうのだ。かといって、目立つ為にひたすら奇を衒えばいい、という訳でもない。厄介だ。
僕の場合、デビューしてまず真剣に考えたのが、「『エンジェル倶楽部』の中で、どうすれば埋もれないか。埋もれたら俺は終わりだ」ということだった。エンジェル倶楽部誌は全体が肉料理のような雑誌だ。そこにステーキを持っていっても仕方がない。ということで、ただのミートローフではなく梅肉入りのゼリー寄せにしたり、中に肝臓や砂肝を忍ばせたりと、あれこれ策を弄した。

つまり、アビリティが低いことに苦労があるように、アビリティが高いことにも、それ相応の苦労があるのだ。
「絵が上手い人がつよい」とは、一概には言えなくなってくる。
多分、アビリティそのものよりも、アビリティの「組み合わせ」と「運用法」みたいなことのほうがはるかに重要なんじゃないだろうか。
画力が高く特に性的表現に恐ろしく長けた作家布陣を誇るエンジェル倶楽部誌の中で、私がどうにか単行本を出すに至り、なんか偶然サイン会とかやることになっているのも、私のアビリティそのものよりも、多分なんかの運用が上手く働いた結果なのだろうと思う。

・じゃあ何が成功なのか。
マンガを描いて載せ続けるという作家の営みは、何をどうすれば成功と言えるのか。
少年プンジャでデビューできたら成功か?と言われると、全然そんなことがなさそうというのが見えてくる。上手いだけじゃ埋もれる。打ち切られたら借金苦だ。プッシュされたらオーバーワークで体や精神を壊してしまう。
このあたり、人生軌道と同じで、想像をはるかに超えて不透明だ。少なくとも外から見積もって思うほどには単純じゃない。
開成や灘に受かれば東大合格が約束されている訳ではなく、東大に受かれば一流企業への就職が約束されている訳ではなく、一流企業に就職すれば人生の成功が約束されている訳ではないように。
あてどない。
じゃあ私個人はどうかというと、目標はボヤボヤとしているものの、少なくとも人生を楽しく生きていきたいとは思っている。
で、エンクラで漫画を描くことが、今すごくすごく楽しい。これからもっともっと楽しくしていきたい。その為に頑張ろうとは考えている。そして、この状態を維持できれば個人的にはとりあえずなんか「成功」なのではないかと考えている。単行本を控えた今現在、僕の精神テンションは非常に高いので、あれこれやります。

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さて、インターネットお絵かきマンから漫画掲載マンになり、貴重な誌面を割いて作品を載せて読者の皆様に届け、出版社から原稿料を貰うということになってから、いくつか、急転直下の心理的変化が起きた。これも書き留めておきます。

・やめたくない。
ちょっと前までは漠然と「デビューできたら幸せだろうなあ」と考えていたのに、
いざデビューが決まると、今度は一気に「この雑誌に『もう貴方は要りません』と言われたくない」という恐れに支配されてビクビクし始めた。
こういう急転直下というのは結構ある。思いつめた挙句に無理心中しようとして家族を手にかけた途端、心の問題が解決してしまったので自殺をやめてしまう人とかって、いるだろう。あれだ。
無論こういった恐れは各人の人生設計と連関するもので、「一回載せられたら本願」という人だったらそれでいいのだが、少なくとも僕はビクビクした。
それに、漫画雑誌というのは雑誌そのものよりも単行本で収益を出すシステムンらしく(タイヘンだ)、だから出版社としても、単行本はなるべく出したいし、出したらなるべく売りたいそうなのだ(と、最初の打ち合わせで編集さんに伺ったし、どこの編集さんもそういう話をなさるので、一般論らしい)。
だから私側としても、「私を拾って下さった出版社に恩返しする為にも、本を出せるようにガンバロ!」となった。
……
じゃあどうしたかというと、「先ずは雑誌の中で生き残ることが重要の筈だ。この雑誌の読者の皆様に認知されること、そして見放されないこと、これを当面の指針としよう」と考えた。
で、突然の増ページやカラー仕事などが来れば0.1秒で仕事を請けていた(誌面に載る回数と面積が増えれば私のことはそれだけ読者の皆様に知られる訳だからね)。
また、アンケートや順位にものすごく気を配った。気を配るといっても、返ってきた反応を見て即座に対策が打てるわけでは全く無いし(例えば1月末発売の本のアンケ結果は2月いっぱいまで集計して3月頭に作家に帰って来る。それが帰ってくる頃には次回の作画作業が終わっているんだから反映しようにもできない)、そもそも作家がオタオタと対策を打ってフラフラ軌道変更すれば良い結果が待つ訳でもないのだろうけど。
ただ、アンケやファンレターで読者の皆様の御支持をいただけた結果、私はエンジェル倶楽部誌にてすごく楽しく創作を続けることが出来ました。本当感謝いたします。
(ぼやかして報告しますと、私は掲載当初は「中間集計では成績がよく、最終集計で落ちる」というパターンだったのだが、中盤くらいから「最終集計でも伸びる」ケースが増えた。私の見立てで、中間集計に反映される票というのは「ビフィダスを応援して下さる方の数」を意味し、最終集計に反映される票というのは「読者の皆様にとっての、雑誌全体での作品印象値・認知度」を意味するのではないかと勝手に思っている。だから、掲載中盤くらいから雑誌読者の皆様の中で私の存在が認知され始めたのだと思う。ありがたい…。)

・勉強不足の言い訳が出来ない。
これはとても恐ろしいことだ。
悲しいかなマンガというのは、上手い先人や上手い同輩が沢山いるおかげで、見渡す限りが教材という世界だ。
しかもこのインターネットンの時代、特定の技法を調べようと思えばその教材はぶりぶり出てくる。
「僕、これ先生に教わってないから出来ないです」といった言い訳が、出来ない。
私はかつて「僕、絵を専門で勉強してないけどこれくらい描けるんだぜエッヘン」みたいな、自尊心を満たす為だけのクソみたいな言い訳を自分に行使しまくって生きてきたが、この手が使えなくなった。(多くのクソ上手い作家先生は、独学だみんな独学なんだ!アアアアアア!!
が、僕にとってはこれが最高に気持ちのいいことでもあった。少なくとも、学んだ分だけそれを発揮できるというマンガの世界、すごく清々しい!RPGとか異世界転生ノベルンとかで、経験を積んだだけスキルが解禁されるって、あるじゃないですか。これが、実世界で起こっているのだ。僕が近頃全然ゲームを遊ばないのは実生活がゲームのように面白いからだ。
しかも、付け加えるに…

・勉強不足でも全然問題ない。
これも事実だ。
そもそも、マンガ表現全体は要素があれこれありすぎて、誰も彼も勉強の途上といったところなので、いちいち周囲を気にして劣等感を膨れ上がらせなくてもいいのだろう。
それに、「自分は巨大ダコだから脊椎なくても構わないです」みたいなこともある。自分の作品魅力や作品制作アルゴリズムにマッチしないスキルなら、当座は持っていなくてもいいのだ。
勉強不足というのは、自分の個性を形成するフックでもあり、また創作に行き詰ったときに新規に開拓することのできる伸びしろでもある、と言えるかもしれない。
そう考えると、ヘコむより先に前を向こうという気分になる。

ただ、一つ困ったことがあった。

・弱音を吐けない。
自分の力量への劣等感や弱音を、トゥイッターとかに公言できない。
仮にもお金を頂戴し、誌面を奪って作品を掲載している身だ。自分を否定することは、そのお金と、自分が奪った誌面に本来載るはずだった人の原稿を、否定することになりそうな気がする。
結果的に、トゥイッターにはうんことかちんことかセックスみたいな反射的な言葉が垂れ流されることになった。

個人的な考えだが、「弱音を吐く」ことの効能の一つに、
というか「弱音をわざわざ周囲に見せびらかす」ことの効能の一つに、
「自分をダメと言えている自分は物事をよく理解しているからダメじゃない、したがって自分はエラい」という、ものすごくインスタントな自尊心回復が、ある気がする。(この世の弱音の全てがこのために行われているという訳じゃあ無論ない。例えば「自己反省をきっちり固定して次に活かす」為の弱音とかはある。上の弱音論はあくまで一つの類型ということだ。)
このインスタント自尊心回復、僕は大好きだったのだが、なんか自分の存在強度をズルズルと落としそうなので封じることにした。

前回のコラムンの続きです。
前回は、創作の間口を広げ作家志望者の層を守るものとしてのコミケの話でしたが、
今回はこれに加えて、「作家や、商業業界にとってのコミケの恩恵」の話を致します。
なお、コミケに参加できる作家となると、週刊連載でクソ忙しい作家さんとかだと先ず無理なので、必然的に成年向け作家とか成年向け商業誌の話が中心となります。

まず、前に経験した話をします。
☆ちょっと感動したウスイホンのお話
前の夏コミで戦利品のスケベブックを読んでいて、そのうちの一冊に心から感心したことがある。
普通、エロ漫画というのは大体のところ「あれこれあってスケベしてスケベして終わる」という構成になっている。これは「限られたページ数で読者の性的興奮を盛り上げ性的絶頂にいざなう」という目的上、どうしようもなくそうなる。スピードを求めたF1マシンの形状が収斂していくようにそうなる。
だが、その本は、スケベの後に、スケベ後のその人の日常描写がヌルリと続いていく。ここで何が起きているのかというと、主人公である女性の心が自問自答の中でグニグニと解きほぐされて変わってしまうという過程だ。
物語として、この作品の山場は、性交そのものよりもここでの心理の変化にある。だから、本全体のクライマックスもここになる。
そして、それがまあエロい訳だ。
肉料理を食べ続けた舌と胃に中華の秘伝のスープが来たような、じんわりとした満足感と、いつまでも響く読後感があった。
……振り返ってみると、スケベ商業誌というのは内容的制約が厳しい
kibisii
それはそうだ、まず「使える」というのが必須条件となるため、まあ男性向け成年誌だと、大概、クライマックスでの挿入と射精の描写は求められる。導入の4P以内にはエロに入ってくれ、という要請もある様子だし、理解できることだ。
また、自誌の購読層に求められるものを提示せねばならないので、雑誌のカラーを大きく外れないで下さいという約束がある。うちはファンタジーはダメとか、制服女子のみとか、熟女がいいなあとか、そういうのね。
尚且つ、一部読者に拒絶的反応を与えかねない描写、つまり「地雷」を避けなければならない。スカトロはダメとか、脚切断はダメとか、あるでしょう。
コンビニで売ってるような大手スケベマンガ誌ではいよいよ一般性と安全性が求められ、例えば犯罪である援助交際描写はNGだと聞くし、黒髪女子高生か黒髪主婦ばっか求められるなんてことも小耳に挟む。(実状は知らん。私はそういう仕事のお声がかかるマンじゃないからだ。うんち。)
先日発売された超大御所先生の単行本では、そのあとがきで、コンビニ誌の内容的制約が煩わしすぎて執筆を一時期辞めてしまったという報告がされていた。こんな高名な人でこうなるのか!と、目玉が飛び出た。
そのように、商業で試せない事、つまり商業で試せない主題、話の構成、人物像、フェチズム、そういうものは沢山出てくるのである。
それを、コミケという場では、実験的に提示して世に問うことが出来るのだ。
戦利品のそのスケベブックを手にしながら、
「あ、そうか、コミケは漫画表現の多様性を拡大させる役割があるのか!」と、この時悟った。
……
これが何を意味するのか、分かりますか?
これが意味するものは大きいのだ。すごく

・漫画家は相互参照のループの中にいる
当然だが、漫画家というのは互いに漫画を読み合い、こうふんした表現やシチュエーションに感化されて、それを取り入れたり真似たりすることで表現法を獲得し、技術を磨いていく。
エポックメイキングな作家さんが出てから、その表現が一気に拡散するということは結構ある。断面図とか、アヘ顔とか、あるでしょう。絵柄とか表情一つとかでもこういう拡散はある。アニメ「けい○ん」が出てからマンガの顔の基準がスコーンと「○いおん」に変位したように思えるし、あと「あ、このひょっとこ顔、近頃よく見る」とか、そういうのもある。これは作家が自発的にやることではあるが、編集が主導して行うこともある様子だ。一部の編集さんは、新人作家に「この作家の絵柄を真似たまえ、いいね?」みたいに指示することもあるという。商業の世界は、それこそ大きなところほど冒険がしづらいようになっているので、理解できる話だ。
この相互参照のループ、実は厄介なものでもあり、これが狭い世界で相互反射し続けると、その世界が均衡化し、「新刊のスケベ漫画単行本の絵柄がどれも同じに見える」みたいなことが起きてしまう。どのページをめくっても、なんか見たことがあるものにしかぶつからない、みたいなことになる。
そうすると、地盤全体が一気に沈下して、ジャンル全体が訴求力を失ってしまう訳だ
表現というのは総じて「球がストライクゾーンに収まっていること」と「球が散ること」を同時に求めていかないと、澱んで死んでしまう世界なのだ。
そんな時、こういうコミケのような場で、実験作が出てくる。野心作、冒険作、逸脱的な作品が出てくる。しかも魅力的な作品が出てくる。
それを作家がやはり相互参照する。新しい方法論を発見し、自分の枠を一つ一つ破壊しながら、それをまた自身の商業なり同人なりの作品にフィードバックさせていく。
こうして、表現世界全体にブクブクと新しい酸素が入り、表現世界が豊かになっていき、読者としては新しい表現や新しい興奮を享受する機会が増えていくということになるのだ。
表現の多様性の拡大は、表現世界の存在強度の拡大なのである。
……ちょっと語弊があるか。こう言い換えよう。
現状、表現の多様性の拡大が、表現世界の存在強度の拡大として、働いている。
意味するところのもの、大きいでしょう?
商業誌が、様々な事情から冒険できなくても、表現したい事を持った作家が同人で冒険できる。その冒険の成果が商業に返ってくる。これは商業誌の世界にとってもありがたい事だろうと思う。
……
コミケ、ありがたいでしょう?

あと、商業作家にとってのコミケの役割について、せっかくだから付言しておくと……
・作家ってのは生きていくのが大変
エロの商業作家というのは基本そんな儲からない。例えば月刊誌で20Pを描くとする。例えば原稿料が1P8000円としよう。そうすると、一作で得られる収入は16万円だ。掲載が隔月ペースなら月収8万円だ。A君「わああすげえ儲かってるじゃん!」Bさん「そうだね。」
ボーナス無し。隔月ペースなら単行本は二年に一度のようなペースになる。
そして作家というのは、サイクルとして「絵の勉強をして技術を磨く」「作品を作って出す」「セルフプロモーションし自分の宣伝力を上げる」の三つのタスクを行うことになる(少なくとも私はそう考えてやっている)。フルに原稿で働くと、このサイクルが破綻して、作家の存在強度が落ちてしまう。
そんな訳で、技術は磨ける」しかも「宣伝になる」そんな同人誌を即売会で頒布できるというのは、金銭面のみならず、作家の存在強度を保つ為の、とてもありがたい命綱になっているという訳だ。(そんな業界構造、不健全だ!作家さんがかわいそう!と憤慨される方もいらっしゃるかもしれないが、「不健全である代わりに元気もあるのだ」と言い換えてみたい。健全化させてコミケを廃止したら、多分みんな漫画家を維持できなくなってやめていくだろう。「白河の 清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき」ってあったよね。)

……こんな訳で、コミケというのは、
1、作家の表現力の拡張に寄与し、
2、それが巡り巡って商業誌の世界含めた表現文化全体の活性化にも寄与し、
3、あとは商業だけでは支えきれない作家の人生を支え、結果として作家の数と作品多様性を増やしている

という役割を担っている訳なのである。
こうまとめてみると、すげえな!!

……
・「表現の自由を守る」の中身
表現の自由という言葉がある。この言葉、私自身はあまり説得力を感じていない。
表現が攻撃や中傷に使われることなんてのはよくあることだし、脅迫的表現は自由なのか、とか、まあ細かい問題は当然出てきてしまう。「○○の自由」というのは「それに付帯する社会的責任」ありきの話なのに、社会的責任までもが「自由」の名の下に免除される傾向もある。(前に騒がれた、「無責任な報道は電波停止してもいいんじゃね」に対する「報道の自由の侵害だ!」という反発とかね。)
社会が上手く回ることと「表現の自由」とが衝突する事はある。そしてその際に「表現の自由」というのはしばしば自発的に折れていくものであるし、今までもさんざ折れてきた。親戚一同の前で「ちんこまんこ」とか言い出して「表現の自由だ!」とか言う子供が出てきては社会は成り立たないのだから仕方ない。
だから、「表現の自由を守る」 という言葉は、「反社会的!けしからん!」という声に対しては、騒がしい教室に対する委員長のように、か弱い……ように思えてならないのである。
……
だが、それの意味するところが「表現の多様性を守る」であるとなると、話は変わってくる。「好き勝手させろ!」という自由を守りたいというよりは、「色々描きたいし読みたい!」という多様性を守りたいのだ。
「表現文化の豊かさを守る」 となると、更に良い具合になってくる。豊かな表現文化が現状、人の心に安らぎや快楽を与えつつ、更には巨大な産業になり経済効果を産み、そういう意味で社会に貢献している訳だから、これは守りたいところだ。というより、これを守りたいのだ。
そして、漫画に関しては、表現の多様性を守ることが、表現文化の豊かさと強さを守ることに「今のところ、繋がってる」
(繋がらなくなったら、その時また文化を活性化する為の手立てを講じることになる訳です。ちなみに、多様性が業界の健全性を破壊した例はある。アタリショック。)
そんな訳で、「自由」とか「権利」とかいう観点でなく、「社会の中に位置づけられ、皆の人生を潤し、経済を回す豊かさを生むもの」という視点から、表現というものについて考えてみるのも面白いかもしれない。
そう思う。 

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