ビフィダス牧場

サークルyogurt、ビフィダスの活動報告場です

コラム

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失楽天に掲載させて頂きましたこの作品「ミユキ姉のソファー」
(コミフロでのリンクはコチラ!読んでね!→)https://komiflo.com/comics/4469
(あ、電子アンケートもあるのでよろすくね!→https://www.wani.com/product/13878_s/
について、思い出したことがあったので備忘がてら記述しておきます。
このヒロインのミユキさんは、キャラデザインと基本構想だけは7月くらいに既に出来ていました。s174
↑編集さんに提出したラフ。この段階で「でかくてだらしないボデーの女の子を描く、その女の子は基本内向的だが家の中で出会う主人公に対してだけは素の態度が出る」というコンセプトが明確だった。
で、このヒロイン像を僕は気に入って、
「隣の家のだらしないお姉さんがスキだらけで寝ている時に、ひっそりイタズラする」という話の構想を立ち上げたのです。
そのとき、編集さんから頂いたアドバイスがこうでした。
編集さん「お隣さんだと関係性が弱い気がするので、従姉妹とかにしませんか」
私「なるほど(←あまりに安易な同調) そうしてみましょうか」

この提案を僕が受諾してから、このネームは一切が止まりました。
二人の関係性と出会いのシチュエーションという、話の根幹・前提・土台が変わってしまったので、その上に立っていた道中~帰結までの流れ、ウッスラ考えていた「描きたいポイント」がゼンブ息の根を止められてしまったのです。
揺らいだ土台からは、アイデアの枝葉がバラバラに生えてくる。このまとまらない思いつきの集合体の量が、いよいよ精神を圧迫する。どの枝葉を切れば幹が通るのかが、ある時点から完璧に見えなくなってしまう。
結果、スケジュールのデッドラインになって構想全撤回・再提出したのが、「もてなしの湯」となります。

「もてなしの湯」を描いた後も、生み出したヒロイン像(むちむちはどーしても描きたい)は頭から離れないので、この子の魂に肉体を与えて脳の牢獄から解放してやる為にも、再度ネームに挑戦しました。
が、やはり焦点が定まらない。
で、スケジュールのデッドラインになって、話の前提をあれこれ組み替えたり要素を整理したりして、従姉妹という設定を「なんか導入がかったるい」と感じて「お隣さん」にしたところ…
一気に話が出来上がりました。
そして、後々になって自分の難航の理由を確認すべく振り返って考えていた際に、
「あ、これ最初の構想に戻っただけだった!」と気づいたのでした。
これは大変教訓に富む気づきとなりました。

思うに、物語の着想となる最初のひらめきというのは、複数のアイデアのワンセットなのでしょう。
そのワンセットのアイデアたちは強固な直感性を持ちながら緩やかに親和していて、
思いつきでいじってしまうと、親和性が失われておおもとのパワフルな直感性ごとダメになってしまう…。(例えば…カレーという着想には、味の強いカレーソースその味を受け止めつつボリュームの主体を担う温かくて柔らかいライスアクセントたる福神漬けがワンセットになっていて、そのライスを「ライスより大根おろしの方が健康に良さそう、白いし」とかいって差し替えてしまうと、おおもとの食べたいものではなくなってしまう訳だ。)
この、最初のひらめきの時点で、パワフルなアイデアのワンセットをどこまでガッチリ作れるかが、読み切りを構想する上でのキモではないか、とか考えてしまいますね。

あと、人のアドバイスは話半分で聞いておけ、という教訓も得られました。話半分という態度って実は物凄く良いことな気がする。「参考になるなら取り入れるし、そうでなければ省みない」というの、アイデアマンのキモみたいな態度な気がする。何でもかんでも柔軟に意見を取り入れればオトナ、という訳では決してない。

自由スクロール系・上カメラ式のシューティングゲームのことを考えていて、一まとまりの分析が出来たので残しておきます。
●引き撃ち安定問題というジゴク
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自キャラが前後左右に移動しながら画面をスクロールしていって、敵にショットをポコスカ当てて倒していく系のゲームを考えてみてください。
そういうゲームで、時たまゲームシステム・バランス上、次のようなプレイスタイルが安定してしまうという現象が生じます。
「敵が弾を撃って来たら後退して離れ、
敵の弾が届かずこっちの弾だけ届く位置から弾をチビチビ撃って各個撃破していくのが一番安全」
というやつです。
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引き撃ち(後退しながらチマチマ撃つこと)安定、というやつですね。
これが安定してしまうとゲームはものすごくつまらなくなる
刺激も攻略性もない消極的チマチマプレイが安全策&最善攻略、になるのですから。
引き撃ち安定問題。これは、自キャラが前後左右に動いて敵を倒すゲームを作る人が直面し易い問題であると思いますし、そうなっちゃった悲しいゲームは結構多い筈です。哭牙とか。

●なんでこうなるの
さて、こういう現象が生じてしまうゲームには大体こういう基礎条件があります。
1・自機ライフを守ることが(敵への積極的攻撃よりも)長生き・攻略に繋がる。
…例えば、ライフ回復機会が極端に少ないとかで、細かい敵弾を食らわないことの重要度が高いゲーム。
死ぬと大損こくゲームだったりすると尚更です。(いちいち長くかったるい道中をやり直すとか、ゲーム内のお金が減るとか。つまり僕らがかけた時間や労力が無駄になるとわかると、大体ぼくらは面倒くさがってやらなくなってしまう。ことが多い。気がする。)
2・敵弾が多い。
敵弾が多い。
→敵弾の多い場所に居ると、そこにさらに攻撃を重ねられて被弾する。
→離れてから敵機を各個撃破するのが一番良い攻略法になる。
3・敵弾が遅い。ないし自機の足が速い。
敵弾が自機の移動速度よりずっと速い場合、後退して避ける行動は無意味になります。嫌が応でもチョン避け・横避けになりますよね。
また、自機の足が速いと、チョン避け・スキマ避けみたいな精密動作が難しくなり、後退とか大回りとかの動きが増えていきます。
4・敵が各自、自分のタイミングで弾を撃ってくる。(敵が攻撃タイミングの連携とかを全然しない。)
こうなると、敵が多い=敵弾が多い=危険という関係がものすごく安易に成立するので、「チマチマ各個撃破が安全」になり易い訳です。
・・・
●じゃあどうすればよさげか
1-1・敵を派手に倒すほど、いいことがある。
なんか、敵の近くで派手に倒したりすると
・ライフが増えるとか、後でライフが増える何かが溜まるので、果敢に攻めてダメージ食らってもおつりが来る
・自機が少しの時間無敵になって、ダメージへの心配が一気に減る。(なんかマニアックになりそうだけど、設定でなんか説明すると納得感増しそう。敵弾から放出されるムニャムニャを接触吸収することによりムニャムニャみたいに。)
・自機の経験値とかお金とかがたまって、派手な技が増えたりパワーアップしたりしてそれが楽しいからどんどん近づきたい。遠くで撃ってると損する。
1-2・敵弾に対する緊急回避動作がある。
なんか、タイミング見計らって横入力するとシュインって敵攻撃をかわして無敵になるとか、アクションゲームだとよくある。つまり、後退よりも安全で安心で楽しい回避動作がある
1-3・敵に近づいての攻撃が楽しい。
・遠くからチマチマ撃つのでなく近くで何か派手にやるほうが楽しいので、そうしたい、と思えるようなバランス。
・近くでの攻撃が強すぎるのも問題だ…近づいてブンブンしてれば安定、というのも大味でつまらないからだ。敵の近くでブンブンしながら、何か敵の攻撃・挙動にそれでも時々対応しなきゃいけない、ってぇのが一番いい気がする。
1-4・そもそもヒットアンドアウェイするゲームにする。
爆弾投げるとか、つまり敵の集団にポーンと爆発物投げ込んで逃げてウハウハ、みたいなプレイ感で遊ぶように作られたゲームだと、引き撃ちも楽しそう。
1-5・死んでもすぐやり直せて、やり直しても楽しいゲーム。
そもそも、死ぬことがかったるいことじゃないゲームなら良いわけで。ゲームそのものの刺激性や中毒性が高いゲームだと、いいですよね。バンガイオーの特定面とか。(ってことは、引き撃ちをしている=既にそのゲームの道中がつまらないことの証、という気がしてきた。
2-1・敵弾が少ない。
・例えば、敵攻撃が常に単発自機狙いとか大振り&スキだらけだとかで、「敵攻撃をかわす時は横とか斜め前に避けて近づいていくのが基本ムーブ」となる。
・敵が、扇状に広がるWAY弾とか四方八方に広がるバラマキ弾とかを放たない。
2-2・敵弾を消せる。
・大量の敵弾に対する対応方が、後退以外にもあればいいので、例えば消せるとか…でも、そうするとリスク要因としての敵弾の存在意味がなくなるから難しそう。
3-1・自機が敵の弾幕に対応できてスキマ抜けも大回りもできるように、高速移動も低速精密移動もできる。…なんか煩わしそう。だめっぽい。
3-2・むしろ敵弾がクッソ遅いので、後退するまでもなく見切れる。これもいいよね。
4-1・敵の集団が連携していて、タイミングをあわせて攻撃してくるので、見切りやすく避けやすい。…プログラミングめんどそう。

エンジェル倶楽部次月号に向けた原稿を入稿した。キャラデザ提出日が9月6日だったので、
この20P原稿に20日程度かけてしまったことになる。
今月はあれこれ用事が多く、作業時間を思うように取れなかったのもあるし、艦これイベントが重なってムニャムニャといったことがあったので深刻視はすべきでないと思うが、
それでも「時間をかけすぎた」…というか「気乗りしなくて作業が進まないことが多かった」という嫌な気分が残っていて、あまりスカッとした入稿明けではない。まあこれも「週末に三連休が重なって、『あんま急いでも仕方がない週末』の時間が複数回あった」という事情から来るものが多いのだけれど。
……
ついでに、備忘がてらちょっと思い出したことを描きます。
先刻「失楽天」に掲載させて頂きました「もてなしの湯」。
この作品は、描きながら悩み、描き終えた後も悩むというかなり苦い状態の中に晒され続けた作品だった。
komifloはこちら→https://komiflo.com/comics/4179
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温泉街にて、困った女性と知り合う話というのを描きたかったのだが、
この女性(ヒロインの麦さんね)は、外見からして「温泉っぽい女性」では全く無い
これは意図してそうしたことだ。
「温泉っぽくない女の子が温泉宿の主をしている」という出会いがこうふんすると感じたのだ。
だが、描いていくうちにどんどん不安になってくる。
基本、「外見」と「属性」は連動しているほうが良い(ここの「良い」の意味も問題なのだが)。お嬢様然とした外見の子は、お嬢様であるか、お嬢様でありながらド変態とかと相場が決まっているし、黒髪ショートのボーイッシュ日焼け娘は運動部の後輩か、再会した田舎の幼なじみと相場が決まっている。こういうのは見て一撃で分かる。見て一撃で、舞台・人物の性格・物語・プレイ内容までおおざっぱに掴めるのがいい。
エロ漫画はとりわけ視覚的な訴求の強い分野だ。目に飛び込んでくるわかりやすく魅惑的な1ページ、1コマがあるだけで「おっ」と物語世界に引きずり込めるし、これが無いなら下手すれば雑誌の中で目にも留めてもらえないかもしれない。
…そんな中で、「もてなしの湯」のヒロイン、属性と外見が連動していないヒロインは失策のように思われた。
描きながら不安が膨れ上がり、企画当初の意志や意図はグワングワンに揺れて、描きながら「自分はダメ人間かも」とすら思った。
……
こうして発表された本作だが、結果としては(アンケートの集計はまだだから、よかったら送ってね!このページの画面下部にアンケへのリンクがあるんよ→https://www.wani.com/product/13878_s/)とりあえず、komifloではこれまでにない沢山の反応とご感想を頂けた。
読んで頂けたこと、そして読んで頂いた方からご反応を頂戴できたということに、安心した。
だから、当初の私の意志や意図はとりあえずそう間違ってはいなかった、と、一旦自分の気を宥めることができている。
……
本作を、外見と属性が違うヒロインにしたのは、「読んでいる人が自分で見つける宝物のようなヒロイン」のようにしたかったからだ。
先の表現を使うなら「見て一撃では分からないものを、自分で読んで見つける体験」をして欲しいなあ、と思ったからだ。
この体験、価値のあるもののはずだと私は考えているので、こういう作品を描いたし、多分これからもこういう姿勢でちょくちょく描く。
だが、こういう作品作りは、悲しいかなSNS宣伝の時代と全くソリが合わない。「フックになる画面を、みんなのために公開する」みたいなやり方に向かない。下手すれば作品魅力を毀損するかもしれない。
そんな訳で、「読んでくださった方がちゃんといる」と確認できたことが本当に嬉しかった。
これからも頑張ります。


……
「外見と属性の連動による分かり易さ」「一撃で見てわかる」系の訴求力というもの、「良い」もののように見えながら実は結構弱点があることなのかもな、と、ネバネバ考えている。

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『後輩種付温泉―西村ユキちゃんにマーキング』、FANZA(昔のDMM R-18ね)で発売開始しました!
コチラ→ DMM
電子版が好き!という方はよろしくね!!感想きかせてね!良かったら星とかちょうだい!
ご紹介いただきました!ありがとうございます!
MMD的一日一おっぱい様http://b.dlsite.net/RG02608/archives/51813434.html

物理書籍のウスイホン通販はこちら!
よろしくおねがいします!

【以下私記コラム】
電子版をわざわざ出す意義/物理版(ウスイホンね)をわざわざ出す意義というものについて考えている。
前作『不倫托卵温泉』は、まず電子で公開し、次いで一ヶ月後くらいの即売会イベント(コミ1)にて加筆版のウスイホンを頒布、同時に電子版も加筆分をバージョンアップした。
こういうことをすると「ウスイホンの意義は」と悩みそうになるが、実際には会場にてウスイホンを喜んで下さった方が非常に多く、委託書店でも好調に売れた様子で(単行本キャンペーンもあったよね)手ごたえを感じた。
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今作『後輩種付温泉』は、前作と逆だ。まず即売会(夏コミね)にて頒布/書店委託し、2週ほど離して電子の方で販売した。今回は加筆は無しにした、というのも「せっかく買ったウスイホンが旧バージョンになる」というのは、入手した方にとってはガッカリな体験になる予感がするからだ。(そのかわり、電子でもいつか後日談等を加筆し(計画あり)、その加筆分もどこか物理版で、おまけ的に頒布することを考えています)

あくまで二作目まで出した時点での手ごたえとしては、こうだ。
・電子版を出す意義 
1、電子で性的欲求を満たす人々にとって、とてもアクセスし易い(当然だが)。
2、成績が数値として明確に出て第三者から確認できる(できてしまう)ので、売れ方次第で様々な展開の希望が持てたりするし、売れるとよい宣伝になる。
3、在庫とか無い。
4、オリジナル同人の場合、電子バナー広告が作られる期待がある。これもよい宣伝になる。
5、バージョンアップがノーリスク(その代わり、バージョンアップしたものがちゃんと読まれているかは不透明。反応結構薄いかも。でも反応を気にせず、より良いものを提供し続ける姿勢is大事なのでここはブレないでいいと古事記にある)。
・ウスイホンを出す意義
1、「完成版の物理書籍を入手したい」「電子で買いましたが物理でも買います」という方が確実にいらして、その方々にしかと届けられる。物理版にはアイテムという側面が明確にある。
2、「良かったです」というビビッドな反応を頂ける(これは即売会というものが持つ性格だ。一作目はこの側面が決定的に強かった。二作目は、当然それまで内容が公開されてなかったからワケだから即売会でビビッドな反応を頂きようがなかった。ンヒィ)。
3、イベント/委託書店でウスイホンを探す人にとって、アクセスし易い(電子と結構ズレがある)。

…で、現状の僕の考えは
1、ウスイホンと電子版は並行して出していい。
2、ただ、個人的には、私が関わる本に関して読者に「ガッカリな体験」をさせたくないので、物理版を出してから電子版に加筆分を出す場合は慎重に行う。
3、「電子」→「物理」の順番は手ごたえが良かったが、ここはあんま気にしないでもいいかもしれない。データ不足。
4、ただ、電子版はバージョンアップコストがゼロなので、「電子→バージョンアップ版物理」の順番は自然ではある。ニンジャスレイヤーとかと同じだね。この順番は自然な上に、誰も傷つかない・誰もガッカリしないというのも良い気がする。が、いかんせんあんま気にしないでいいかもしれない。データ不足。
5、ビビッドな反応はガッチリしたモチベーションになるので、ウスイホンの頒布は止めない。作家の形には色々あると思うが、同人上がりのマンとしては、同人即売会でのビビッドなやり取りという体験からは離れたくない気分。土から離れて生きられないのよ。

…創作を楽しいものにするための工夫を必死こいて考えながら頑張る感じ、独特な感覚だと思う。子供のころとかそういうこと全然考えなかったけど、考えてたらすげえ頭のいい人間になれていた気がする。

あと、電子版に関しては一つ明確な価値を持たせられる予感がしていて、今DMMの担当さんにメールで確認を取っているところです。

7月31日締切『イビツな愛の巣』色紙プレゼントキャンペーン、多くの皆様のご参加まことにありがとうございました!!!
エンクラポスター1
↑データを漁っていたら出てきた、「フタゴの密室」の表紙/ポスターのラフの一つ

SNSの時代が進みすぎて、当初SNSにあった「感想を気軽に共有しあえてハッピー!」みたいな機能が逆に失われつつある中、こういったキャンペーンの力を駆りながらであれ、こうして皆様のご感想を頂戴できましたこと、本当に嬉しいです。
イビツな愛の巣 (エンジェルコミックス)
ビフィダス
エンジェル出版
2018-07-17


さて、実は今、単行本二冊目を出した節目の反動なのか、自分の具合があまり良くないので、ちょっと脳味噌の整理の為にコラムを書きます。
「スランプや不調の原因究明や自己分析をするのは悪影響を加速させる」と古事記にはあるのですが、多分何とかなるでしょう。

・作家が要求される必須アビリティ
に、「忘れる」という能力があります。
多分、漫画を描いた人が編集部に持ち込みに行き、新人賞とかに向けてその原稿を仕上げ、提出したときに編集さんにまず言われることが、次の言葉だと思います。
「お疲れ様でした、ではこの原稿のことは忘れて、次に行きましょう」。
忘れて次に行く、というのは物凄く大事なことです。しかも何重もの意味で大事です。
・思いついた最初のアイデアに拘泥していると次のアイデアが出てこなくて生産性が下がる。「生み落としきれなかったアイデア」は脳のワークスペースにいつまでも残り続けてめちゃ邪魔になる
・次々描いていくことこそが作家には求められるので、次々定期的に描いていく体制を整えなければならない。「継続的に新作を描く」という意識を持つことと、「この作品一つを完璧に仕上げる」意識とは、立体と平面くらい違う。しかもこの重要性、あんま「漫画のノウハウ教本」とかに載ってない気がするんじゃよ。very重要と思うんよ。
・自分の過去作とのアイデア被りとかを気にして、新作が思いつかなくなるのが苦しい。こういう、「足跡のついていない場所を歩かなきゃ意識」を持ってしまうと、地雷原を歩くような気分になって臆病になって創作が続かなくなる。
・・・
そんなこんなで、忘れるというのはとっても大切なことなのです。
デビューを目指す創作志願者にとっても、デビューして連載を目指す作家でも、継続掲載し続けている作家でも、夫々の仕方で当てはまることだと感じています。
言ってしまえば僕らはどんどん次に行きたいのです。
ですが、ここで私たち作家にのしかかる重大な問題がございます。
そう、自作の宣伝です。

・「新作執筆」と「過去作宣伝」のベクトルは正反対
宣伝。
自分の描いてきたものが、自信を持って世に送り出すことの出来る価値あるものであることを公に広める営みですね。
当然、今の時代は作家は自分で自分の作品をガンガン宣伝していかなきゃいけない。
「2年かけて単行本を出しました、本屋さんに新作は毎週毎週リリースされます、だから一週間で私の新作は話題から消えました」というのは物凄く切ない。
しかも、自分の作品が世に出ることを一番気にかけているのは他の誰でもなく自分です。
だから作者本人がこれを堂々とやるわけなのです。
当然の営みに思えるし、どこかの誰かにおんぶに抱っこを期待できない今の時代には必須ともいえるかもしれない。
ですが、これには結構厄介な副作用があるのです。
つまり、自分の過去作を思い出してしまうのですね。次に進む為に忘れなきゃいけない過去に、直面しなくてはならない!
1・こんな作品を描いてたのか!次はこのネタ/テーマ/構図/構成では描けない
2・こんなに喜ばれたのか!次はこれを超えなければならない
こんなことを考えてしまい、作家は割と窒息状態に陥り易い…のです(現状の私が多分この状態にある)。
多分読者の方は作家がビビってるほど気にはしていないと思うし、「最新作を最初に手に取る読者」にとっては過去作とか関係ないので、本当、ビビッていても仕方がないのですが、ビビる人はビビる。
「分業したら?」とか「作家が広報までやらなきゃいけないこの時代が悪い」とは全く思いません。
これは、野球選手が打つ・走る・投げるを全部やらなきゃいけないように、格闘技の選手が筋肉をつけてから減量して贅肉を絞るように、食品を扱うパン屋さんとかが同じ一つの手をつかって食品を包みながらお金を受け渡しするように、個人事業主が確定申告を自分でやるように、一つの稼業が担う矛盾した宿命と言えるかもしれません。
じゃあどうするか…という話です。
台湾の屋台ごはんとか、衛生管理が結構徹底していて、おにぎり作る手は絶対にラップごしになってて直接食品に触れなくなってたりするじゃないですか。
そういうように、作家にも、こういう不調を精神論に頼らずに克服するオートマチックなシステムが必要だと思う訳なんですよ。
今回は脳整理のためにこれをしたためておきます。

・次から次へと新しい作品を作る方法論
作家というのは不思議な生き物で、
「次に描くべきネタがない、目の前が真っ暗」と悩む状態と
「展望が開けていてネタが次々あふれ出す、ここ10作はネタ出しに詰まらず描ける」と有頂天になっている状態とが
殆ど紙一重で交替します。
で、この後者、「展望が開けている状態」をどれだけ維持できるか、が、作家が作家を続けていく時のキモだと思う訳なのです。
それの維持の為の要素やヒント、今から思いつくままに列挙します。
1、ここ10作の統一テーマ・ジャンル・属性が定まっている
「イビツな愛の巣」はこれがカンペキに決まっていたので、第一作「キミを誘う疼き穴」が終わった直後からモチベーションが下がらずにガンガン描けたし、「イビツな愛の巣」のテーマが決まりまくっていたからこそ、そのテーマに外れたアイデアを「失楽天」の方でコントラストある仕方で発表できていた。 この2年の創作の順調さは「イビツな愛の巣」ありてこそのものだったのですな。
2、基本構想からレパートリーを10作くらいザザッと列挙する。
例えば「学生モノ」という基本構想があれば、
・学生同士の和姦
・学生同士の非和姦
・先生と生徒の和姦
・先生と生徒の非和姦
・部活動→水泳、陸上、球技、文芸部、書道とか茶道とか、シミュ研みたいなオタク系
ってな具合でババッと列挙して10のレパートリーが出来てしまい、そうすれば10作分は少なくとも主題で悩んだりせずに描ける訳です。
「基本構想」と「レパートリー10個」の組み合わせは、おっそろしく便利です。
(逆に言うと、基本構想で悩むと辛いのですね。でも、これ抜きでやると、「レパートリーですらない思いつきを頼りに新作を10作作る」という地獄みたいな状況になるので、創作の手が止まる気がします。あー今悩んでるのはここだ俺!!!)
3、毎日主菜が同じだと飽きるけど副菜は飽きない
つまり、作品を彩る特徴には、「連続するのにふさわしくないもの」と、「別に特に注目されないので何度使っても誰も文句を言わないもの」があるのです。
主菜と副菜のバリエーションを変化させていけば、「飽きの寿命」はどんどん遠ざかっていくと思うのですよね。
4、話の基本構造のローテーション
話作りには骨格があります。
この骨格を意識的に毎度交替させていくことで、飽きの寿命を引き伸ばすことが出来ると思います。
例えば、ジョジョの奇妙な冒険の話の基本構造は
【敵が出る→敵が調子に乗る→敵の謎を解く→オラオラ】
ですが…あっ、ジョジョは大概これや!!

こういったことを、手を変え品を変え、対処療法で自分に処置しながら描いていければ、私はどんどん描ける!気がしてきた!!

元気が出てきたので、コラムはここでおしまいです。気づいたことがあったら追記していきます。



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