ビフィダス牧場

サークルyogurt、ビフィダスの活動報告場です

コラム

TPP云々の調停の中、日本の議員さんや漫画家先生や様々な方々の地道な活動のおかげで、
日本の同人文化が、この二次創作が多くを占めつつ巨大な市場となっているこの現在の同人文化が、一まとめにしてしまえばコミケが、上手く守られる事になった様子だ。
よく「歴史ってのは、どう転んでもどうにかなるものである、弁証法的サムシングで、こう、うまくいく摂理なのだ」みたいな意見をみかけるが、これはこの世の最大誤謬の一つだと思う。
物凄く頑張ってくれたその人がいなかったら、歴史が変わっててみんながガクッと不幸になってたってことは、あるよ。
感謝しかない。
そして、この巨大なバトンを、各々の仕方で支えながら長く引き継いで行きたいものだ。 こういうのは油断した瞬間にまた危機に晒されるものじゃからのう。
……
さて、かく言う私はコミケ参加歴はそんなに長くないが、コミケに様々な仕方で巨大な恩恵を受けた人間の一人であり、
また、創作活動とか漫画文化とかにコミケがめちゃくちゃ色々寄与している、ということが、漫画を描く中で、またコミケに参加する中であれこれ思い当たるので、
これを機会に、この寄与なり恩恵なりというものを、少しまとめてみようと思う訳です。
お付き合い願えれば幸いです。
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☆「漫画を描いていく」って、たいへん
振り返るに、「漫画を描きたい!」とか「漫画家になりたい!」という人がいたとして、その人がやることというのは
1、趣味でシコシコ描く 2、なんか自信が出てくる 3、編集部に持ち込みに行く為にシコシコ描く 4、編集者にあれこれ言われて、「この人の言ってることマジかいな」とか「ここはボクのコダワリなのにぃ!」とか思いながら直す 5、「○○賞に出してみようか、それまでにこれこれ直しておいて」「アッハイ」みたいなフニャフニャしたやりとりをする 6、賞の結果が出る 7、「じゃあ次の段階行こうか、連載目指してネーム作っていこう」「アッハイ」みたいなフニャフニャしたやりとりをする 8、「ごめんね企画通らなかったよ」「うんち!」みたいなやりとりをする
まあ大体こういう流れになると思うのだが、こう見てみると、恐ろしい作業であることに気づく。
・読者が担当編集さん一人しかいない
・仲間が出来る機会がどこにもない
(・お金を貰えてない)←大問題なんだが、まあ一旦カッコに入れておく
……ね?今こうして文章にしているだけで「これ宇宙空間に単身小船で漕ぎ出すような所業じゃないだろうか」と思ってしまった。
それくらい、よすががない。
今の時代になると、トゥイッターとかピクシブとかいったSNSがあって、そこで作品発表を行うことが出来るっちゃ出来る。
だが、今、SNSでオリジナルの、なんかよく分からない、ゆかりのない作品をポイッと出して、目に留まる確率というものを考えてみると、既に絶望的な気がしてくる。悲しいかな、世界というものは自分の存在に対して、自分が期待しているほど興味も好意も持ってくれないのである。いっそ内輪で友達に読ませるほうがよさそうだ。
そうすると、二次創作というものが、創作を始めるにあたって如何に「恵まれた」ものであるかが分かる。

☆二次創作のいいところ
・まずそもそも、人間が漫画含め表現を好きになるときというのは、他の作品を好きになることから始まる。98%ここからだ。その時点で、二次創作には「ナチュラルな動機」がある。(これ、『作品はオリジナルこそ、二次創作など邪道、こころがけがれている』と思っている人にとって割と盲点になっている気がするんだな。かくいう私も、今こうして書いてて初めて気づいた。)
・二次創作は、絶対に、多くの人が読んでくれる。しかも、その作品のファンが。好意的な読者にすぐ出会える。これはでかい。
・好意的な仲間にすぐ出会えるのと同様に、好意的な「創作者」にすぐ出会える。作家仲間が出来る。これもでかい。
・既にキャラクターやバックグラウンドが出来上がって共有されている状態から自分で話を作っていくことが出来るので、創作活動がし易い。生きた鶏をさばくことから始めようとして料理に挫折するよりは、スーパーで鶏肉のパックを買ってきて調理して人に振舞って料理を楽しむ方が、「楽しむ」という点で、良い。「苦しい部分をすっ飛ばせる」のが、良い。
・「そのキャラらしさとは何か」ということに、否が応でも真剣に向き合う契機が得られる。この過程、「自分でキャラクターを作り、考え、動かす」際に、凄まじく役に立つ。自分の脳内でこしらえたリソウテキな人物像をいじくりまわしていると視野狭窄になる、なんてのは、陥りがちな話だ。(死にたくなってきた。)
…まあ枚挙にいとまがないが、二次創作からストーリーテリングを始めるというのは、様々な利点があるという訳なのだ。
創作が好きになっていくような、創作を続けていけるような、そういう利点が
巨大な利点だ
(無論デメリットもあって、二次創作でブイブイ言わせていた人が、オリジナルとなると途端に精彩を失う、なんてこともよくある話のようだ。キャラを作るとか舞台設定を作るとかいったことをオザナリにしてしまう、というのは一つの弊害なのだろう。だが、『一から創作するのに苦労して、楽しめない』という最悪のデメリットと比較してしまうと、こんなこたぁ小さな事柄に思える。
……
さて、こういう見解が持ち上がる。
読んで貰いたいだけならネットで無償公開すりゃよかろう」。尤もな気がする。「おぜぜを稼ぐとは浅ましい」。そんな気がする。
が、漫画を描く側の立場からすると、「即売会に出て、金を取って本を売る」というのには固有の重みが生じるものなのである。

☆コミケのいいところ
先述したように、「シコシコ作品描いて、編集部に持ち込みに行く」というサイクルには、「お金のやり取りを発生させる」という契機が絶望的に生じないのであるが、即売会ではこれが得られる得られる!すごいことだと思うぜ僕は。そう思わないか!?
これは、「お金が儲かってウハウハ」とかいうことじゃなくて(実際サークルの大半は儲からないと聞く)、
作品を世に出すことで世界に貢献し自分の未来を繋げていくというライフスタイル」に対する一定の予行演習というか、シミュレーションになるのである。(これをデビュー前にさせてくれる編集部は多分この世に存在せん。
それの何がどう、意味があるのか。次にゾロッと列挙していきましょう。
・「お金を払わせて作品を手に取ってもらう」ことのプレッシャーと責任感。これが創作に与える影響はでかい。0と1くらいでかい。重みが全く変わってくる。創作に向けた姿勢も当然変わってくる。
・「自分が描きたい漫画を描いてぶん投げる」という意識が、「人に読まれることを意識して漫画を整える」という方向に向く。……こういうことは、持ち込みの場合は編集者さんが全て事細かに指摘してくれることではあるのだが、これを実地の読者相手に出来るというのは大きい。というか、実地の経験があってこそ、編集さんのアドバイスはバリバリに刺さってくるのである実地の経験がない人に編集さんがアドバイスしたってピンと来ないに決まってる。「作品を世に問う経験値」が足りてないから!(文章書いてて、自分で今気づいた。)
・自作品をプロモーションする意識が生まれる。これ、でかい。当たり前だがイベント前となればより多くの人に作品を知ってもらいたいので、自分の存在とか自分の作品の個性だとかを世にプロモートせねばならない。知られていない作品は読まれない。よすがのない作品は手に取られない。だから、作品が溢れ返る海の中で、自分の作品にどうにかして興味を持ってもらわねばならない。その為に、多くのサークルが知恵を振り絞り、日々分析したりしながら本を作っている訳なのだ。興味を持ってもらえるように内容を練り、外面を練り、広報を練る。……考えたらこれ、広告業とか広報とかが死に物狂いでやっていることだ。そして……これ、実は漫画家志望者が持ち込みに行った時に、編集さんや出版社が肩代わりしてくれている事柄なんじゃないかと思い始めてきた。「この作品はこうすればもっと人の心を掴むんじゃないか」「もっと分かり易くなるんじゃないか」「もっと作品世界が広がるんじゃないか、連載を長期化できるんじゃないか」という提案をしていくのが編集者のお仕事だからだ。コミケで本を出すということは、編集さんの気苦労を追体験するということでもあるのかもなあ。作家にとって、とってもいい経験値な気がする。
・上項の一環だが、表紙デザイン等を考えるという機会が得られる。……これ、持ち込みではありえない事柄。ロゴとか宣伝文句とかも自分で考えていく。色々なデザインを見て学びながら吸収するという脳の働かせ方をしていく。こういう分析、私は先日の冬コミで初めてやった。多くの作家さんのアドバイスの元に、データを漁りまくり試行錯誤しまくるということをやったのだ。恐ろしく勉強になったし、なんというか鍋を振るう事しか頭になかった人間が、料理の盛り付け方を知って驚くというような、そういう世界の開けがあった。色んな方面で役に立つかもね。
・編集さんの目に留まってスカウトされたりする。あるあるー。許せねえ。
・お金が得られれば、次の創作につなげられる。当たり前だが重要なことだ。お金は血液。少なければ倒れるし、尽きれば死ぬ。これも、改めて言われないと気づかれにくいことなのだなあ。
……
こんな風にゾロッと挙げてみたが、この「作品を世に問うて生きる為のプチ予行演習の巨大な場」というコミケの役割、そしてそれが作品のクオリティと、作者のセルフマネジメントぢからに与えるプラスの影響力、これはもっとずっとずっと強調されていい気がする。
……
「創作」というめんどくさい営為の間口を広げ、創作の楽しみを増やしていく、二次創作文化という巨大な土壌
そして、「ただ漫画を描くことから、漫画を世に問うことへと意識を橋渡ししていく実地訓練場」としてのコミケという巨大な土壌。
こういう土壌が、この日本というミョーチキリンな文化大国、何故か知らないが漫画やアニメを世界に出しまくっているこの日本という国における、「漫画作品を作る担い手の量」と「質」をかなり大きな仕方で担保している……私はそう感じている。
少なくとも、「コミケ禁止です!ハイ!」となったときに、この、肥沃すぎるほど肥沃な、コンテンツ製作者予備軍の層が、ゴッソリ失われるというのは想像に難くない。
(あー、漫画文化が、「いかがわしい、けしからんもの」から「金を稼げる世界的文化事業」へと立ち位置をスライドさせていったからこそ、コミケやら何やらが存続したって面はあるのだろうなあ。)

コミケ、結構ものすごく大切に思えるわけなのさ。
さて、このほかにも、コミケが漫画表現文化に寄与するものはあるのだけれど、今日は疲れたので、続編にて紹介します。 

続きはこちら。 

先日のコラムで私が自分の年齢を21歳と述べたところ、一部の方にショックを与えてしまった様子なのですが、
実際のところ私はもうちょっと年寄りで、17歳だ。
毎日ラジオ体操や筋トレをしているのは、それをやらないと身体のコンディションを維持出来ないからだ。
様々な余暇や趣味を犠牲にして進んだ本業において挫折し、敗北者としての未来しか見えなくなった。
夜、寝床で暗黒の天井を見上げながら、
このまま何者にもなれず何も生み出せずに死ぬのか、せっかくこの世に生を受けて、このザマか」と絶望的な気分になる、そんな日々を過ごしてきた。
そういう時に、丁度『エンジェル倶楽部』誌の編集さんからスカウトがかかり(コミケに出してた同人誌を目に留めて貰えて)、漫画を描くという人生を得たのだ。 
漫画を雑誌媒体に載せるというのは長年の夢の一つであっただけに、可能な限りしがみついていきたい。
……
さて、絵を描く人について回るトラウマワードの一つが「年齢」です。
「こんな上手い絵を描く人が学生?死のう」とか、そういう思いに囚われる人は多くいることでしょう。 
目指すところが漫画家なりイラストレーターなりという職業であれば、なおさら「年齢」というのは重大事に思える。
ような気がする。
だが、それは本当なのだろうか。それは巨大なマヤカシかもしれない。今回はそういうコラムです。
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●「この人こんな若いのか!」と知ったとき、我々は一体何に劣等感を感じるのか。
これを振り返ってみることは重要だ。そして、その内実をいざ見てみると、実は大方こういうところなのではないだろうか。
・若いくせに絵が上手い

・若いのに絵に熱中して携わってきて、様々な画風やモチーフを吸収し、技能を磨いているというのが羨ましいしスゴイ
この辺りなのだ。
※「才能」のことは放っておこう。才能という言葉、多義的過ぎる。持って生まれた観察眼。手先の器用さ。視覚情報を指先から出力する際のスムーズさ。好きなものに熱中できる力。努力を成果に還元する際の時間効率。それを許容する生活環境。育成環境に存したモチーフの質。……「才能」には様々なものが含まれすぎているし、その一つ一つの要素を見ていけば、様々な対抗策、代替策、迂回案は提示できるものだ。そして、並外れた才能の持ち主、「天才」には、そもそも勝てないから気にするだけ無駄である。
……振り返ってみると、「若い人」には「絵に熱中できる時間」がある。学生時代なんてのは落書きの時間が山ほどあるからだ。
その熱中から、技術的成果を出して、それを若い段階で世に出せて、名声を得ている。この辺りが、羨ましさの中身なのではないかと思う。
一方、年寄り側が総じて欠いているのは「熱中と時間」だ。熱中したくても生活に追われて思うように時間が取れない。そもそも熱中できない。時間を上手く活用できない。今からじゃ追いつけない気がする
だが、この辺りの問題、つまり「熱中と時間」の問題は、年齢に関わる話じゃあないのだ。この問題は若い人をも等しく悩ませているし、そして、生活サイクルやモチベーションのマネジメントを自覚的にやれば、いい歳の大人でも一定の仕方で確保できるものだ。
(このマネジメントすら出来ないぞバカヤロー、という人は、多分理不尽なまでに不遇の生活状態にあるので、絵とか言ってる場合じゃない。役所とか行くべき。
熱中と時間。これを大人になって確保する。
その場合、やるべきことは……大体こんなところだろう。4つ挙げる。

1・自分が好きなものに取り組む意志を明確化する。
趣味など無意味、愛好などいずれ冷める」とか思っちゃわない。理由。内的動機という内燃機関さえあれば人間は早々モチベーションを失わないから。エヴァでいうS2機関。これがないと、「周囲から好意的反応が得られない、ちくしょー乗り換えだー目立ちてー」とかなって右往左往して作風がグチャグチャになって一発逆転に頼ろうとしてアースクエイクのビッグカラテを食らって爆発四散したり、やる気の電池切れを起こして立ち往生したりする。
内的動機があれば、堂々と一千発のスリケンを投げ続けることが出来る。
絵一枚では何にもならなくても、積み上げられた20の作品は「ポートフォリオ」になり、更に積み上げられた100の作品は「コンテンツ」になる。最近身にしみて分かったことだが、量は質になる

2・生活環境の見直し。
事柄に優先順位をつけ、無駄な時間をなるべく減らして、好きな事に携わる時間を作る。絵筆を執る時間も。疲労を減らす為に身体のケアをしたり(ラジオ体操とか)食生活を見直すとかも重要(濃いラーメン食べないとかエナドリ飲まないとか、昼飯を豆腐にすると午後も眠くならないとか、そういうのね)。あと、作業環境を整備して姿勢とか良くして疲労を減らすとか、家族の理解を取り付けるとかいったことも、とても重要なこと。

3・モチベーション環境の見直し。
絵を描き続けるには適切なモチベーション環境を構築して改善していくことが重要だ。イラストSNSに絵をアップした時に多くの人に見てもらえて喜んでもらえるとモチベが上がったりするでしょう。そういうのだ。例えばネカマになって、オシャンティなカフェの写真と、ひじまんこ(ひじを寄せて皺を作ってそれをクローズアップして写真に撮るとそれらしく見える)の写真とかを上げつつ「練習中ですー」とイラストを上げたら多くの人に見てもらえて応援してもらえる気がする。
あと、そうやって作品を公開していけば、尊敬すべき作家であるとか、競い合える作家仲間とかが自然と生まれてくる。そのつながりの中で、自分のモチベーションを増進できるように環境をまた整えていく。「この人と繋がってると精神が不味い」と思ったら距離を置く、とかも含めて。

4・効率的に成長するメソッドの確保。
モチベーション維持の一環だが、ダラダラ練習するより効率的に練習したいものだ。じゃあ何をするのかというと、絵が上手くなる方法というのは「絵筆を執って、背伸びして、惚れたものをあちこち吸収しまくる」ってことに集約される気がする。これをやるには精神の統一が不可避で、ちょっとでも我執とか自尊心とかがあると、すぐこれが出来なくなる。私はこれが凄まじく苦手で、この我執のせいで多くの時間を不意にしたという自覚がある。でもまだ苦手。理想の絵描きへの道は遠いのう婆さんや。

……こういうことなのだと思う。
こういう事柄は、重ねて言うが年齢とは特に関係ない。若い人でも、これが整わなければ苦労をするし、そうやって挫折して行くのだと思う。そして、その道のベテランのような人であっても、ずっと悩んでいる問題なのだ。だから安心して悩んでいい気がする。問われる事は本人の精神的資質のみだと思う。

●「でも、歳を取ってると実際色々不利なんじゃ?」という疑問に対して。
ケース1:趣味で絵を描いてインターネットお絵かきマンになる場合…
年齢なんぞ誰も気にしない。SNSに年齢を正直に書いてる人、いないじゃん!(本田未央ボイス)
ケース2:お仕事を受ける時には……?
今の時代、ツイッターやピクシブといったSNSで目立つ絵描きさんにはサラッとお仕事の依頼が来るものだ
だから、そういうお仕事なら年齢とかあんま関係ないと思う。
スカウトする側は「その人の作品が価値になる」と思ってスカウトしているのであるから、年齢とかあんま興味あるまい。
只でさえ行く先の不透明なエンターテインメントの世界、「何か新しい作品、何か他と違う作品が欲しくて欲しくて仕方がない」この世界において、生産者の年齢を気にするなんてのはクソデカイ週刊少年誌とかそれくらいの、ほっといても新しい才能が山ほど集まっては散っていくような一握りの世界だろうと思う。
ケース3:商業連載とかは?
私は雑誌を売る側にいたことがないので、あくまで「読み手側」の話しか出来ないが……

前に、知人の作家さんとこういう話をした。
私「雑誌が作家を誌面に載せたいという時、年齢とか関係なくないですかね」
作家さん「いや、あると思いますよ」
私「面白ければ何でもよくないですか?」
作家さん「考えて見ましょう。同程度の作品が二つあって、一方が『20です、元気いっぱいです』って人で、一方が『30です、人生かかってます』って人だったら、貴方が編集だとしたらどっちを取りたいですか?」
私「フゥーム」
作家さん「但し、『一定以上の社会経験がないと生み出せない作品』というのはありますよね」
私「ハイハイ、業界話とか人生話とかそういう」
作家さん「ナニワ金融道とか。そういう作品はとても価値があるでしょう」
……
こういう話を聞いていると、こういう考えが首をもたげてくる。
歳を食っているということは、武器に出来るのではないか?
20歳と30歳で同じ作品を描いていたらそりゃ20歳の方がいいかもしれないが、
つまりは違う作品を描けばいいのだ。違う存在であればいいのだ。それで価値を提示できれば。
折角だから、ちょっと思い当たる節を挙げてみよう。

●年寄りの良い事
・社会経験がある。それに基づいた、ミョーなリアリティのある作品を生み出せる。社会の事柄しかり、自分の事柄しかり。
・社会経験や自身の経験、広い見聞に基づき、中長期的セルフマネンジメントが出来る。
・広い人生経験に基づいて作風を管理したり作風を散らすといった作品マネジメントが出来る。
・細かい思い入れが減る。思い入れがありすぎて作品を逆に生み出せなくなる傾向、というのはよくある。歳を食うと、もはや「絶対に描きたい主人公」とかの思い入れがなくなってくるので、クールに分析してキャラを作る事ができる。
・社会的作法が分かっているので、編集さんとかと仲良く、正しく、仕事が出来る。そういう人付き合いで精神を消耗したり人生に悲観したりすることがない。若い作家さんだと結構あることらしい。
……暫定的に列挙したが、こういうことも、実のところは「年齢に関わる話」じゃあない。若くても、本とか読んだり様々な人生洞察を得て、しみじみした作品を作る人はいる。(先日話題になった、芸人を挫折した28歳のアイドルオタクが再帰する話とか、作者の中島祐さんはwebの記載では23歳だ。)それに、歳をとってもセルフマネジメントが出来ない人というのはいる。やっぱり年齢の問題じゃあない。

●年寄りの問題点
・体力が減る。健康が減る。これは不味い。……でも、若い人でも不味いものは不味い。早逝した作家さんの数を考えてみればわかることだ。
・生活環境が、漫画を描くことを許さなくなる。これはさもありなんという話だなあ。よく、「デビューを志望しながらも作品を作れずにアシスタントを続けている内、作家や周囲の優秀アシに自分より若い人が増えてきて、段々と静かにその世界から足を洗っていくケース」なんて話は耳にする。……しかしこれも、問題は「年齢」じゃなくて「当人の作品製作能力と、年齢をヘンに気にするメンタル」が問題という気がする。
・新しさが無い、絵柄が古くなる。作品を発表しないまま歳を食うと、我執が強くなるので、こういうパターンに陥るのはさもありなんという話だ。……だが、これもつまりは「作家の勉強ぢから、吸収ぢから」の問題だ。ベテランでありながら絵柄を最新のものへと更新し続けて最前線を走る先生は、現にいる。高校生の頃から我執に囚われて「自分の絵を手放したくない」とかやってるうちに鬱屈する子、なんてのも、いる。
・新しい事柄に、興味関心を持てない。これはキツい!キツい。新しいアニメを見ない。ラノベの表紙が全部同じに見える。最新のゲームを追いかける気力がない。『ぼのぼの』に出てくるアライグマのオヤジのようなものだ。全てが同じ景色に見えてしまうのだ。だが……興味関心を持つというのは、自分の心に問いかければ自然と出てくるものだし(私にだって好きな作品はあるし、ボルチオエステサロンとか好きだ)、そもそも「全てに飽きた立場から提示できる価値」みたいなものは、ある気がするのだ。気がするだけだが。
勉強しない。上の問題と連動して、この傾向は不可避のように思える。……だが、勉強しないと死ぬのはどの年齢でも同じだ。若い作家さんが輝いているのは若いのに勉強しているからだ。一方、歳をとっているのに勉強を絶やさずに魅力的な絵を描き続けている人は身近に沢山、沢山いる。輝いている。つまり、輝きの源は勉強ぢからにあるのだ。若さじゃない。

……考えれば考えるほど、年齢の問題は本質的でないように思えてくる。

また、こういう視点もとれる。

●若い人の問題点
若い人ほど、実は更に他人の若さを気にする。これは先日、クッソ若い作家さんとさぎょいぷして知ったこと。考えてみればそうだ。学生の頃って、1つの学年差が絶対的な意味を持ってたもん。わかるわかりティ。そして、ソレを気にしすぎて自分から潰れていく、なんても、ありそうな話だ。一方、社会人になったら10歳20歳の差とか別に気にならん。興味があるのはその人の魅力だけだ。
・若い人には多くの可能性がぶらさがっているだけに辛い。これもよくある。歳を食うと、欲望が捨てられていった結果、やりたいことだけやる、みたいな鋭さを見せるケースもある。
・若いので社会知がなく、結果として人生を見誤ったり、メチャクチャな仕事をあてがわれて憤死したり、クソみたいな担当さんにムチャを言われて情熱を失う、なんてケースも、聞く。悲しい話だ。
・若いうちに専門特化すると、人生のツブシが効かなくなる。ああああ辛い。だが、人生のツブシの問題は年寄りにもあるか。ヒエー!
これ以上こういう暗い話はやめよう。 
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●問われるのは、「今」だけなのかもしれん。
とある作家先生がトゥイットしていたことを覚えている。
「絵と年齢の問題に関しては、実は『今その人が何を描けるのか』だけが問題なんじゃないだろうか」
結局はそこなのだ。
だって、高年齢でも若々しく魅力的な絵を描いてどんどん成長している人が現にいるんだから。
じゃあ、その「今その人が何を描けるのか」の「今」とはいつなのか、と考えると
「最新作」
ではなく
次回作、次に、ちょっと背伸びして新しい事に挑みながら絵を描く時の、そのタイミング」なのだろう。
こう定式化すると、自分に刺さる。こんな文章書くんじゃなかった。
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●マジックナンバー35
マジックナンバー35というのがある。「夢を追いかけていた男が、35歳になると夢を追うことを諦め、その結果として人生が無重力の闇に転げ落ちる」。そういう現象だ。
30代半ばの男性が特殊な犯罪を犯すケース、多いだろう。脅迫とか通り魔とか。あれだ。
だが……案外、そんな悲観したものじゃないのかもしれない。そう信じたい。

 

私は今年21歳になるヤングマンで、確定申告とか役所の事柄を全然知らずに生きてきたのだが、
今回はじめてこれをやってみたというお話です。
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年明けの同人作家が耳にして胸を痛めるワードの一つが確定申告だと思う。
複雑そうだとか、手抜かりがあったら怒られそうとか、その割にはサボってもバレなさそうとか、そういう印象ばかりが先行する。
かく言う私は、これまで同人の売り上げなんてタカが知れていたので確定申告なんて無縁の話だと思っていたのだが、
商業デビューしたり壁サークルになったりで、今年はそうも言ってられなくなったので、知人の作家さんやネットや本の助けを借りつつ、やってみた。
そしたら、すっごくラクだったし楽しかった。

以下の話は、自分が経験したことを自分が理解した限りで語る話になるので、
これが唯一の正解という訳ではないのでしょうが、
今後、確定申告を考える皆様の御一助になればと思います。

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●確定申告とは
細かいことは知らないが、つまりは国に払うべきお金をちゃんと払う手続きということだ。
働いている人が国に税金を納めることで国が豊かになり、そのお金で国が良くなったり困窮した人が助かったりする、それが税金のシステムなので、払えるときには払っておきたいというのが人情だ。
で、サラリマンとかだと税金が会社の方で自動的に差し引かれるので問題ないのだが、
そういった課金処理済みのお給金以外に「一定以上たっぷりした」儲けがあったりすると、国としては「この人からはお金もうちょっと欲しいなあ」と思う、という訳なのだろう。

●なぜ、確定申告を僕らがわざわざやらないといけないのか

イベント収入を含めた個人の儲けを国がいちいち監視するシステムなんて考えるだけでも煩わしい(硬貨や紙幣に発信機でも付けるのだろうか)ので、そこは我々の方で国のお仕事を助けてあげる、ってのがクレバーな社会体制と言える。
儲け云々の数値はこっちで用意して申告する。で、我々は、国にいざ求められた時に「はい、収入と諸経費はこうなってますよ」ってことを証明できるように、書類(領収書とかね)を数年間保管する義務があるという訳なのだな。
問題は「じゃあ国はいつ我々の領収書の束を確認するのか」であるが……当然、爺さん婆さんが行列を作る確定申告の提出会場でいちいち来場者の領収書の束を確認なんぞしたくはない。
僕らは確定申告ではあくまで「計算結果を提示するだけでいい。領収書は確定申告会場には持っていかない。「いざという時の調査に備えて、保管する」だけです。
よく、「コミケの壁とかになったサークルは『この方はたっぷり儲けている、ならば税金をぜひ頂戴したい』と税務署に認識されて、印刷所への入金(そこから発行数と売り上げが想定できる訳だな)とか確定申告とかをチェックされて、申告をサボってたり申告内容が怪しいと数年後に税務署員が自宅にやってくるってことを聞くけど、実際、税収調査のタイミングはそういうところなんだと思う。
ブログ絵1


●確定申告の前にやっておきたいこと~領収書集めと家計簿づくり~
さて、確定申告に必要なのは
どれだけ稼いだか」と「それを稼ぐのにどれだけの経費を使ったか」の情報だ。
従って、お金を使ったことを証明する文書やレシート、領収書は取っておきたい。
1月1日から12月31日までの収入と経費が分かればいい。
・「何月何日に、何を買ったか」がはっきりわかればいい。
・正式な領収書でもレシートでもいいし、その際には印字が消えた時に困らないように「文房具代」みたいに書き付けておくといいみたい。
・イベント費用などに関しては「入金確認メールのプリントアウト」とかも証明能力がある、と思う。

●家計簿を作ろう
大体2月になると、作家は一年分貯めた領収書の束や預金通帳をめくりながら、自分の収入と経費を家計簿にちまちま書いていく。ネット上にソフトは沢山ある。今回使ったのはうきうき家計簿
レシートの年月日とその内容と金額をポコポコ入れていく。とっても楽しい。
家計簿

●経費の項目はこんな風に分けよう(申告の時にクッソ便利)

・水道光熱費…同人作家でデジタル作画の場合、電気代だけチェックすればOK。水道やガスは無関係。(確定申告の際は、この電気代の70%くらいが申告材料になる。「事業に使う電気の割合はこんくらいだよね」と判断されてるそうだ。ファジー。)
・旅費交通費…イベント参加とかで使った電車代、タクシー代、宿泊費全部。漫画家の場合、「旅行は漫画のための取材」と考えると旅費全部入れてもいい気がするんだな。
・通信費…ネット代とか携帯代とか。(これも、確定申告の際は70%だとか50%だとかの数値にして申告する。全部が全部、事業のために使っている訳ではないからだ。ファジー。)
・接待交際費…複数人で外食した費用とかのレシートがあれば。個人の飲食費はNGらしい。
・消耗品費…パソコン用品だとか文具だとか。重要だよね。
【資料代】…まんが、DVD、ゲーム、映画鑑賞、フィギュア、おもちゃ代などが、作画資料として全部ここに入る。(ソシャゲの課金ってここに入るのかな?あ、これ興味深い!教えて!
【印刷費等】…ウスイホンの印刷費とイベント参加費はここに。これが同人作家の経費の最大ウェイトになる
・雑費…振り込みとかの各種手数料は全部ここに。預金通帳の「手数料」欄の意義をここで知った。
(追記)・地代家賃…つまり家賃。これがある人は是非計上したい。(これも確定申告の際は使用実態に合わせて70%とか20%とかファジーな数値にする。税収調査の際に「この適正数値は○%なんじゃないですか」とか指摘されたりするそうな。)
●収入の項目は
・「雑収入」なり「事業収入」なり「その他収入」なりといった項目で、同人の売り上げ、書店委託振込み金、エンジェル倶楽部さんの原稿料を全部入れた。銀行入金日を日付としている。

…項目分けをこのようにしておくと、これが確定申告の資料に丸々使える。very便利。
各項目の「年間総計」がわかるように一覧をプリントアウトし、税務署に持っていこう。

…ここまで、前座です。
ここから、税務署での、確定申告の作業です。
ブログ絵2

●確定申告作成所でいきなり言われたこと。
税務署職員さん「……雑収入、多いね」
私「ハイ」
職員「これ、事業にしよう。申告書Bにしよう。(申告書Aは給与+雑収入、申告書Bは給与+事業収入みたいになってる)
  雑収入ってのはアルバイトみたいなものを言うから。」
私「はあ。AとBで何か違いがあるのですか」
職員「事業にすると~~~~(説明を受けたが忘れた)」
私「アッハイ」
職員「じゃああっちのコーナーの税理士さんのところに行って下さい」
私「ハイ」

いくつか。

●確定申告の書類で「業種名」を書くのが恥ずかしいです。「漫画家」とか書くんですか?
→「文筆業」とか「フリー出版業」とかでいいです。
●「屋号を書け」という欄があるんですが、ペンネーム書くんですか?
「書かないでいいよ」と言われた。
●同人作家ってこと、バレませんか?
目の前の税務署職員さんや税理士さんには全然バレない
●「エンジェル出版」って文字が見えるのちょっと恥ずかしいかも。
気にもとめられてない

●確定申告で一番じゅうような書類とは
確定申告の資料は全部、国税庁のHPからPDFで落とせる。
https://www.nta.go.jp/tetsuzuki/shinkoku/shotoku/yoshiki01/shinkokusho/02.htm
プリントアウトして使える。でも現地でも係員さんとの会話の中で用意してもらえる。
さて、これだけズラッとあって、じゃあ作家として「どれが一番じゅうような書類なのか」というのは気になるところですが……
 【収支内訳書(一般用)】
これです。 
 確定申告内訳書1
今回の僕の税務署での手続きも、ほぼこれを書くことだけで済みました。
なんか複雑に見える。こわい。おそろしげだ。
だが、実際に書く場所は、実はこれだけです。(正確な内容かどうかわからないので間違いがあったらご指摘下さいませ。)
それも9割が「プリントアウトして持ってきた家計簿の書き写し」です。らくだ。
確定申告内訳書内容

一番左上「売上金額」には、同人・まんが事業の売り上げの総計をポンと入れる。 その3つ下の欄は総計なので、同じ金額を書き写す。
一番下、「水道光熱費」は、家計簿につけた電気代の年間総計に、70%とかの数字を掛けて書き込む。
右に移って、
「旅費交通費」は書き写す。
「通信費」は…
今回、通信費を一切計上せずに(忘れてた)税務署に行き、申告そうだんコーナーの税理士さんに見せたところ、フランクにこう言われた。
通信費は?ネットや携帯でいくら使ってる?
「あ、しまった忘れてました、領収書も今持ってないです」
だいたいでいいよ、月一万五千円とか?
「え、えーと、どれくらいなんですか?一万円とか?」
それは安すぎるなあ
「じゃあ一万五千円で」
何割くらい事業の為に使ってる?7割とか?
「え、ど、どういうことですか?」
事業の為にどれくらいの割合で使ってるのかの目安だよ
「えーと、わかりません」
……(沈黙)
「じゃあ7割で」
はいはい、じゃあ一万五千円を12ヶ月分で掛けて0.7掛けて、126000円を「通信費」のところに書いて
「アッハイ」
このようなやり取りをした。床屋の会話のような受動性だが、つまり、申告とはそういうものなのだ
次いで、「接待交際費」、「消耗品」も書く。
「福利厚生費」の下の空欄に、
「資料代」
「印刷費」
という欄を手書きで書き入れ、そこに費用も書き入れた。
「雑費」に関しては…
税理士さん「この雑費って何?」
私「銀行振り込みの手数料です」
税理士さん「なるほど」
これで済んだ。 
最後に、経費の小計を計算する。
そして、収入総額から経費を引いた「所得金額」を書く。
……この数字を見ると、「あっ結構減った」とか思うものだが、実際はここで差し引かれている諸経費は「損」どころか人生を豊かにするために使われてきたものだ、というのは心に留めておきたい。

その後、税理士さんが言った。
今年は白色申告で申請するけど、次は青色申告にしましょう
「はあ」
青色申告の講習会があるから。申請書書いておきます。
「青色にするとなにか違いがあるんですか?」
事業届を出すのと、会計ソフト(やよいとか)が要るけど、控除が65万円になるよ
「へえ(よくわからん)」
(こまけーことは知らないが、今じゃ白色申告と青色申告で手間がそんな変わらないらしい。ただ、ある作家さんに聞いた話だと、年収二千万を超えると青色申告の手間がすっごく厳しくなるらしい。
そうして、私は「内訳書」を持って「確定申告書類用意コーナー」に回された。

●あとはオートメーション
さて、そこから、税務署員さんの手引きで次々と書類に数字を記載していく(時間かからない)。
必要なもの
・本業の源泉徴収票。僕は本業があるのだ。
・エンジェル出版さんからの源泉徴収票。一年分の入金と源泉徴収が書かれている。年始に送られてきたのだ。
・生命保険に入っていたのでそれ関係の封筒丸々渡したら職員さんが勝手に切り張りしてくれた。
(地震保険とかに加入してるかも聞かれた。加入者は必要になるのだろう。
 あと、「10万円以上の機材の購入はありますか?」とも聞かれたので、これも何かあるのだろう。減価償却費に関係して、10万円までの金額を控除、みたいなのがあるそうな。私は無かった。)
それを、職員さんがホッチキスでバチバチと台紙につなぎとめていく。
そしたら、おとなりのEtaxコーナー(備え付けのパソコンであれこれ数字を打ち込む)に誘導され、職員さんの案内に従って数字をペコペコ写していく。

そしたら、課税額が計算された。画面にウン万円という数字が書かれている。
職員さんが「今度振り込むか引き落としにして下さい」と言う。
これが、僕が今の力で国に課金できる正当な金額なのか……と、ちょっとしみじみした。
その後、プリントアウトコーナーに回されて、むにゃむにゃとプリントアウトされた書類を、緑色のポストみたいな提出箱にポイッと入れた。 


こうして、僕の確定申告初体験は終わったのであった。 

ものすごくカンタンだった
==

●税金を払うということ。
人生に虚無を感じるタイミングというのは時たまある。
社会の役に立ちたい、社会の皆に認められたい。
でもその手ごたえが得られない。周囲がうらやましい。
そういうメンタルの時、人はしばしばムチャクチャな金遣いをする。
バカみたいに酒や料理を注文して店の人にいい顔をする。
旅行へ行って金を使いまくる。
誰かに貢ぐ。
アイドルのCDをムチャクチャに買えばアイドルは喜んでくれるし、「自分の金が経済を回した、社会を回した」という実感が得られる。
課金というのは、そういう意味で何か「スカッとする」ものがあるのだ。
今回、私は国に正当な課金をして、かなりスカッとした。悪い気持ちじゃあなかった。

●年金
今の税金とか年金とかのシステムは、「低所得者にとっては物凄くありがたい」ように出来ている。年配、若者問わず。控除がけっこうすごいのだ。
問題は、それを知らないでいると、結局その恩恵にあずかることができなくなるということだ。例えば年金とか。つまらない手間を惜しんだせいですさまじい金を年金にむしられた、なんてことを時たま耳にする。
知らないと損、なのだ。
そして、国というのは、「知」を授ける点に関しては恐ろしく受動的だ。求めなければ授けてくれない。
……
知を求めていく姿勢というのは、実は最大のセーフティーネットなのかもしれない。そう思う。
 

雑誌の編集さんとのやり取りの中で感動したことがあったので、それについて記したコラムです。

私が作品を掲載させていただいている『エンジェル倶楽部』誌さんには
アンケートというハイテック・システムがあり、
巻末についてるアンケートに感想を記入しハガキに貼り付けて街角のポストに投函すると
その意見が編集部に届いて雑誌運営の判断に加味されたり、ご感想が作家に届いたりする。 
作家という、暗闇の海を手探りで泳いで生きていかねばならない運命を背負った人々にとって、このアンケートは心から嬉しい栄養補給となり、また明日への羅針盤となる。
(雑誌によっては、このシステムがないんだそうだ!ある作家さんに「それ困りませんか?」と伺ったら「困る」と仰っていた。そりゃ困るよ。)
今回、このアンケートにまつわる、心底感心する経験をした。
==
この度、エンクラ3月号(1月末発売だから今まだ書店にある)に「公衆便所の花澤さん」という作品を掲載させて頂いた。
トイレの花澤1
↑こういう作品。エッチだよ。詳細はリンクでどうぞ→http://yogurtbifidus.blog.jp/archives/53106505.html
電子書籍版もあるhttp://book.dmm.co.jp/detail/b450eagcl00855/
 先刻、そのアンケートの中間集計結果を編集さんより頂戴した。
(アンケートは中間集計と最終集計がある。なぜ集計タイミングが二つあるのかは知らないが、私の推測では、中間集計のタイミングと『その月末に出す本の校了時期』が重なっているので、中間集計の良し悪しが次号予告でのプッシュ度合とかに作用するんじゃないかと思っている。思っているだけ。中間と最終とで順位はわりと変動する。)
そして、その結果がかなりとても良かった。読者の皆様にご支持頂けたことが心から嬉しく、また感謝しております。励みになります。(多くの方々は僕のことを「なんかヘンなギャグを描いてるお絵かきマン」と思っていらっしゃると思うが、スケベマンガの方でもちゃんとやっているのじゃぞい。)

その時、私の編集さんが電話口でこういう言い方をされていた。

「着々とファンを掴んでいるので、よい傾向です」
「掲載ごとに実力がついているので、よい傾向です」 

……この言い方が何を意味するのか、編集さんとの会話の最中は殆ど理解しなかったが、
電話を切った後に暫く考えていて、恐ろしいことに気が付いた。

編集さんは「人気ですね」という言い方を避けている
仮にそういう表現を口にしたとしても、話の力点はその都度「雑誌購読者の方の中にファンが増えているということ」「私の実力が向上していること」に置き直されている。

……わかりますか?

人気順位は、変動する。毎号ごとにフラフラ上下するし、上がれば下がる。
一位にでもなってしまえば、その後は「維持するか下がるか」しか「ない」。
センシティブな人であればそれで一喜一憂してしまう。漫画掲載という先の不透明な世界で、行く末に悲観的になったり、オタオタと方向転換を焦ったりしてしまう。
そもそも、「トップをとる」とかいった喜び自体が、麻薬と同じ「感情の前借り」 みたいな作用を持っている。喜びがでかいほど、反動として「次も維持できるのか?」というネットリとした不安が来るのである。そして次にトップをとっても同じ喜びは味わえないと来た。いよいよ麻薬めいている。
編集さんはそのことの無意味さを分かっているのだ。
というか、そのときの一喜一憂の乱高下が持つ悪影響を
だが、「獲得したファンの方々」は、そう乱高下しない。
ましてや「積み重ねた実力」は、決して下がらない。積み重なるのだから、どんどん増えていく。
編集さんは、そういう「乱高下しない指標」を、作家に与えて、そういう仕方で作家を励まし、元気付けているのだ。

……このことに気づいて私は卒倒しかけた。 

こういう、配慮に満ちた振る舞い、どうやって獲得するのだろう?どこから?
思うに、編集者という職業につくと、ほどなく「日本まんが編集者協会」みたいなとこから連絡が来て、どこかの広間に呼び出されて編集グランドマスターとかにレクチャーを受けるのだ。「人気は乱高下するから作家を人気で褒めるべからず、実力の有無とファンの有無で褒めるべし」「アッハイ」みたいに。
 
いつか暇が出来たら、編集部に取材に行きたい。そう思った。 
==
作品を世に問うことを生業にする、とは、
「自分の内面を世間に曝け出し、評価を仰いで生きる」という営為だ。 
つまり「人のことをそんなに気にしていちゃいけない、けど、ある程度は気にしなきゃいけない」という、どうにもスピリチュアルな営みなのである。
精神はふあんていになる。  
そして、商業をやってみて分かったのだが、漫画に、というか、「定期的に作品を提示しつつ自分のモチベーションを管理して生きていくこと」に、決まった方法論はない。
作家さんはその都度自分なりのやり方で「よさそうな手」を探り出し、同業の仲間たちと研究したり研鑽したりしながら、必死に泳いでいるのだ。(考えてみるとこれは大半の職業において、というか人生の大半の局面においてそうなのだが。ヴァレラとかマトゥラーナの生命システム論に「パイロットの比喩」ってあったろう。飛行機の操縦士は箱の中で必死こいてレバーとかを調整しているだけで、自分が上手くやってるのか否かは自分では全然わからない、という。あれだ。) 
作家のセルフコントロール、中長期的セルフコントロールというのは、「漫画を上手く描くこと」以上に重要なことなんじゃねーか、と、時々思う。まあまんが専門学校とかでは漫画描きながらこのセルフコントロールも暗黙裡に学ぶことになるのだろうけど。行ったことないから推測です。

こんにちは。
さて、合同誌(アンソロと言うほうがなじみかもしれませんが)を主催した経験を基にした備忘録、最後の第三弾となります。
今回は、告知作業、宣伝作業、サンプル作成等についてです。
合同誌はコチラ!→ソリコレ~艦娘剃毛合同~のお知らせ C89

【宣伝という行為】

合同誌は、企画立案~寄稿者募集~頒布(~委託販売)の全ての段階において
適切な告知をせねばならない。
宣伝をするというのは、発表した自作品に対して一定の責任を持つことであり、
つまりは自分の作家性に対して責任を持つということであり、
さらには寄稿して下さった方々に対して一定の責任を持つことであり、
そして作品を購読して下さった読者の皆様に対して一定の責任を持つことを意味する。
個人作品の場合でも事情は大体同じではあるのだが、合同誌は「寄稿者への責任を背負う」点でちょっと意味が異なってくる。ここは腹をくくって堂々と、粛々と、やるのがいいと思う。
宣伝を敢えて控える場合も、宣伝効果を狙っての行動であるべきだ。あくまでベクトルは「宣伝する方向」に向いている。

【合同誌製作フローチャート】

そもそも、合同誌企画というのは広報行為・宣伝行為と切っても切り離せないものなので、
折角の機会で企画立案からのフローチャートを用意してみた。
さて、皆様がイメージされる合同誌企画の進行はこのようなものではないでしょうか。
フロー1
……何かそれらしいように見える。
だが、作業の具体的なあり方を想定してみると、最初の時点で凄まじい欠陥があることに、気づかれる。
「執筆者を募集」「寄稿者が集まってくれる」の箇所。ここだ。
これ、本当だろうか。
「人が集まらない」というビジョンは易々と目に浮かぶし、「来て欲しい人が集まらない」だとか「特に面識のない人から寄稿の申し出をされる」場合もある。
実際のところは、合同誌企画の大半は、告知に至る前にこんな過程を経ている。
フロー2
構想した時点で、「知人の作家さんに裏で声をかけて打診してみる」ということを、やるのだ。
それで、望みの作家さんが集まれば、そのまま執筆に入っていく。
また、「この企画は大きくできる気がする!もっと分厚い本にしたい!」などと主催側が意志したならば、
「現状こういう執筆者がいます」と告知しながら好きな作家さんに内々に打診したり、公に募っていく。
(……ちなみに、合同誌企画は「大きくすればいい」というものでは決してなく、むしろ大きいほど様々なリスクを伴う、ということは念頭に置くべきことだ。
主催する側として、自分の目的をしっかり見定めておかねばならない。
今回私は「大好きな作家さんと同じ本に載る(結果的に本は大きくなる)」ことを目的の一つとして設定したので、それに関連するリスクも引き受けた形になる。この目的設定とリスクを踏まえておかないと、後々不幸を招く。
あと、今回の「剃毛合同」の場合、好きな作家さんであっても「この方、剃毛を描かれるのであろうか……」と遠慮して声をかけるのを控えてしまう事態も何度も発生した。)

話を戻すに、上のフローチャートを見ると、告知や宣伝のタイミングが幾つかあることが分かる。
1・執筆者募集
……これは、上述のように「企画が成立しそうで、更に膨らませたい」場合にのみ必要性が生じる告知行動。
内々で済ませたい時ならば不要だし、企画が成立するか分からない段階で募集をかけてしまうのは失策
2・イベント前の宣伝
3・イベント後の宣伝
この二つは以下に述べていく。

(追記)☆「そもそも知人の作家さんがいない!」という時


同人活動というのは同好の士の繋がりで出来ているものなので(これは同人に限らず、作品を公開している人全般に当てはまることだと思うのだが)
作品を作る側にいるならば、憧れる作家互いに尊敬できる作家問題意識を共有する親しい作家人格的に信頼の置ける作家という繋がりは自然と出来てくるものである。
そもそも、こういう繋がりから、合同誌企画というものも自然と思い立つことになるのだろう。
人との繋がりというものをまず考える。そして、繋がろうとするなら、自分に何が出来るかを考える。こういうところから物事は始まっていくのだと思う。(あ、考えたら広報ってそもそも「人との繋がりを作ること」だった。)
……そういう意味では、私はあまり合同誌企画に向いている人間ではないのだ。「他の作家さんに積極的に繋がりに行くことが苦手」だから。だがこういう、繋がりを作ることへの苦手意識は、作家としての自分の成長を決定的なところで阻害して閉じ込めてしまうと近頃気づいたので、改めていきたいと思う。島村卯月、頑張ります!

【イベント前告知】

イベント前の告知は責任を持って入念にやる。ツイッター、ピクシブ、HP、ブログなど、可能な媒体を連動させて行いたい。
あくまで私の考えでは、
「頒布イベントの二週間前」「通販予約開始時」にガッチリ宣伝し、
「イベント直近」に、これまでと違うスクリーンショットを使った毛色の違う告知を行って宣伝に目新しさを与える
といったやり方が良いように思われる。
イベント直近というのは、新刊情報が過密化して以前チェックしていた筈のものも忘れ去られ易いので、新規に宣伝するのは良いことだと思われる。

☆サンプルページの選定基準
さて、宣伝や通販委託では、宣伝担当者は本誌よりスクリーンショットないしサンプルページを選定しなければならない。
サンプルページを作る場合、皆様は本誌からどこを抜き出しますか?(とりあえず成年向けとして)
1・冒頭、導入部分
2・サンプルでオチを見せてはいけないので、オチに向けて物語が盛り上がっていく部分
3・オチ含めて作中で一番エロくてそそる箇所

……色々な戦略があるとは思うので一概には言えないことなのだが、
私は当初は「」だと思っていた。
だが、冬コミを終えた今の時点では、私は決然として「」を選ぶ。オチだろうが構わず3を選ぶ。
また、長い話かつ冒頭が面白い話の場合(冒頭が面白くない作品ってのもタイガイだが)、冒頭をたっぷり数ページ、もしくは十数ページ、ピクシブ等で先行公開してしまうという宣伝の仕方もある。続きが読みたくなる「そそる」話ならば宣伝になる。度胸あるよね。でも、多い。
また、「最初から一部のページをサンプルページにするように見越して漫画を構想する」という人もいる様子だ。
「全身これサンプル」みたいな、どのページを切り出しても魅力にあふれている作家さんもいる。これはもう怪物作家なので参考にならない。
こういうこと、私は全然分かってなかった。が、今わかったので、今後は努力する。

☆表紙はどうしよう
表紙の出来というのが本の魅力を決定するといっても過言ではないので、
表紙に関しては困った。絵を作ってしまっていたので、ロゴでどうにかするという方策で色んな作家先生のご助言を受けながら手を加えた。
表紙デザインに関しては、表紙製作を受け持つ人は覚悟して勉強しまくるのがいいと思う。
勉強法とは…
売れ筋の漫画や同人誌の表紙を見て見て見て模写して模写して模写して分析して分析して分析して取り入れて取り入れて取り入れて試作して試作して試作して試行錯誤して試行錯誤して試行錯誤して信頼の置ける作家さんやデザイナーさんの判断を仰いで仰いで仰ぐ。
やろう。
あと、表紙を主催者が担当せねばならない理由はないので、参加者の誰かに前もって依頼してしまうのも手なのだろう。ですよね。今回は私の引き受け性が出て、私で描いてしまった。

【イベント後告知】

頒布イベントが終わっても、当然告知は継続する。
何度も言うが、宣伝というのは自分への責任行為であり、のみならず寄稿者への、更には本を買って下さった全ての方への責任行為でもあるので、物怖じせずにやる。謙遜して遠慮するのはこのような方々全員への背信行為になると思ってもいいと思う。
先ず、合同誌の主催者は合同誌の読者でもあるので、寄稿された作品全てに対して感想を述べて拡散するくらいのことはする。当然する。 感想というのは寄稿者への最大の返礼であるからだ。
折角なのでその時のログをまとめておいた→「ソリコレ~艦娘剃毛合同セルフ感想メント行為」まとめ
今後もし私が合同誌に寄稿する側になった場合は、一寄稿者の立場からでも多分このように感想を送ると思う。一寄稿者もまた合同誌の読者だからだ。 
そして、本を読みながら、また色々な方のご感想を集めながら、本に新たな魅力や切り口が与えられたと気づいたら、それもまた広めていく。
(例えば「剃毛合同」なのだが、ここでの私の作品は堂々たる霧島まんがであり榛名霧島である。サンプルはここ
金剛型姉妹クラスタの方には是非お手にとって頂きたいのである。あと、いつもの日向が出てくるので、伊勢日向まんががお好きの方にも是非お手にとって頂きたいのである。) 
twitterをこまめに検索し、本を喜んでくださった御反応があれば、それも感謝しつつ物怖じせず拡散する。
「その本を楽しんでいる人がいる」というのは、その本を手に取る上での最高の力になるからだ

このような仕方で、適宜宣伝を行いつつ、行き渡るべき人に本が行き渡るようにこまめに配慮する。
これが、主催側として引き受けるべき事柄だと思う。

……

以上、合同誌の主催として経験したことや反省点を長々と書いてまいりました。 
今後、合同誌の企画を考えている方や合同誌への寄稿を考えている方の参考になれば幸いです。
また、何かご意見等ございますれば、是非お寄せ下さい。
拙文、失礼しました。 

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