先日、札幌に旅行した。
何をしていたかというと、雪祭りを一通り見てからずっと本を読んでいた。
一人旅の旅先というのはおセンチになる場所だ。だからそこで出会う本は特別に胸に沁みたりするのだろう。そして、自分の来た道とか進む道とか漫画とはとか、あれこれ考えたので、この機会に振り返っておきます。
そこで買った本、どれも面白いので紹介するよ!

1、平川 哲弘『クローバー』
雪祭り会場を一通り見て、「コブラチームの雪像が無かった」とか落胆してたとき、
ふと頭の中にこの漫画の記憶がよみがえった。
クローバーという、週刊少年チャンピオンで連載していた青春漫画の、17巻から19巻を占める「鳴我編」のことだ。
クローバー。面白い。終盤の広島遠征編がタラタラ長くて読むのをやめてしまったが、長く長く面白い作品で、買い揃えてた。
ケンカ漫画かと思いきやバイクや釣りなどの価値観が混じりこんだ奇妙な牧歌性に溢れていて全エピソードがいちいち面白いんだが、その中でこの「鳴我編」は異彩を放っている。

19巻のラストシーンでの鳴我(ものすごく凶悪で強い奴)とゲンゲン(主人公の友人のケンカが強いバカで、昔ヤンチャしていた頃に鳴我と仲が良かったのだが、色々あって決別して苦い想い出になっていた)とのやりとりが、すごく印象的だったのに思い出せなかったのだ。
気になったら、止まらなくなって来た。
ので、丸善に行って、17,18,19巻をババッと買って、歩きながら読んで、ボロボロと泣いた。
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少年院から鳴我が戻ってきた。旧知であるゲンゲンを鳴我は尋ねる。
ゲンゲンは過去にヤンチャしていた。ケンカは無敵だったが、もっと強い鳴我の噂をききつけ、タイマン挑んでボコボコにされる。しかしゲンゲンは毎週鳴我にリターンマッチを申し込む。やがて孤独な二人は奇妙な友情で結ばれる(泣く)。
しかし、暴力には暴力がつきまとう。ゲンゲンは周囲の何とないノリに載せられて担ぎ上げられ、周囲の恨みを買い、とある高校生に道具で頭をかち割られる。ゲンゲンに跨って暴力を加え続けるその高校生の頭に角材をフルスイングしたのは鳴我だった。
鳴我は捕まる。ゲンゲンは、重傷を負わせた相手の親に平謝りする自分の母親を見て、自分の生き方を後悔する。その悔悟を、病院のベンチの隣に座る鳴我に口にしたその時、鳴我は警察に引き渡されたのだ。そのとき交わされた視線が、ゲンゲンにとっては一つの心の楔になっていた。
ゲンゲンは過去の清算の為に、鳴我と行動を共にする。そして、その過程で自分の友人である主人公ハヤトや、友人達を次々ケンカで倒し、そこらじゅうに喧嘩を売りまくる存在となる。ハヤトや友人達は、ボコられていながらもゲンゲンのことが心配で仕方がない。そして、雨の降る空き地で、鳴我と戦うのだ。
鳴我の心に泣く。俺は鳴我のことを思うと速攻でボロボロ泣く。
最後の鳴我の独白のシーンは、愛の文学のように美しい。まあ漫画は文学だし不良漫画は漫画の中でも特に文学的なジャンルなので、兎に角美しい。
不良漫画というのは、結局は心と心の話なのだ。そういう意味ではエロ漫画と同じだ。不良漫画にはその過程にケンカがあり、エロ漫画ではセックスがある。
僕(ビフィダスF)はエロ漫画を描いているが、その精神的源流にはこの作品があったのだ、と思った。私は思いがけず札幌の地にて心の故郷に帰還した。

・漫画は今読むしかない

一方、歩きながら思った。
クローバーは一時期、「イージスさん」という人物(バナナマンの日村にそっくりな人なんだが、めっちゃかっこいい)の存在によって一気に話題になった。
その過程で、作品全体の独特の牧歌性に注目が集まり、作品評価が高まった、とも考えている。ドラマ化もして、有村架純がヒロインやってたんよ。(ドラマ自体は後半陰惨になってきてすげえイヤだったけど。)
その頃が、作画的にもストーリー的にも最高潮の円熟期だったと言える。それが、広島遠征とかが長々続いて、何となくついていけなくなっている間に、最終回を迎えて終わってしまった。
猫は、死期を悟るとひっそりどこかに行って死ぬと聞く。
漫画はどうだろう。
面白い漫画がだんだんつまらなくなってきた時、僕は今まで悲しみを覚えていた。「どんな漫画もつまらなくなるというのならもう愛など要らぬ!」とか思って悲観したり諦めたりして、新しい出会いを避けるまでになっていた。
しかし、作品がつまらなくなって、そのまま忘れて、気づいたら終わっているとしたら、それはむしろ一つの理想の付き合い方なのではないか?
最高に楽しい時間を過ごして、そして苦い別離の記憶を残さないのだから。
作品には旬がある。 旬の時に、その脂の乗り切った作品を味わいつくす。作品のテンションが落ちてきたら忘れる。そして、ふと思い出したらまた買って読み直す。
そういう付き合い方って、悪くないんじゃあないか。
だとしたら、「今面白いと言われている作品」は、「今買って今読むしかない」のではないか?
何故なら、作品は、つまらなくなって、終わったら、一瞬で表舞台から去っていくからだ。平積み台には置かれず、広告に顔を出すこともなく、本棚に背表紙を並べたまま、気づかれずに静かに消えていく。 
だからこの時に決意した。
「本屋で、一瞬でも気になった本があったら、ノータイムで買う」と。 
私は今まで表紙買いで損した記憶しかなくて、表紙買いがトラウマになっていたのだが、これからは躊躇しない、出会いは逃さない。そう決心した。
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ちなみに、その時に買ったクローバー三冊は、札幌の友人にプレゼントした。そしたら目の前でペラペラ流し読みされた挙句に「この作者ってクローズ描いてた人だっけ?」とか聞かれたので「違う」と答えた。クローズもめちゃ好き。キーコとか美藤とか好き。高橋ヒロシはQPも傑作だ。「来るな小鳥!」でボロボロに泣く。

これ、見た目は怖いが、前に丸善で女性が全巻大人買いをしていたのを見た。男性のみならず女性の心を掴むものがあると思う。不良漫画と少女漫画には近親性がある。

2、この漫画がスゴい!女性編1位、2位
先日、ディープバレー先生に薦められて『春の呪い』を買って読んだ。


2巻で終わりというコンパクトさもあって手に取り易かったが、面白かった。最初、webで第二話に最初に触れたので、第二話を第一話だと思い込んでいたら別に第一話があったので面食らった。
主人公、黒髪ロングの夏美ちゃんが良い。あっけらかんとした明るさと、その背後にある暗い影とが、すごく良い。人間はそうだ。悲しみには笑顔が張り付くのだ。可愛い。そして、苦しむ夏美ちゃんが、自分のことでは絶対に泣かないのがいい。この子が泣くタイミングはいくつかある。悲しみを背負いながら、自分のことでは泣かない。泣けないものを背負うその姿に、私はそんけいのこころをいだいた。
この作品が、このマンガがスゴい女性編の2位だという。
そして札幌の文教堂で、1位の作品というのを見かけて、後学だと思って買った。
岩本ナオ『金の国 水の国』。

これを私は宿のサウナのカプセルルームの中で読んだ。
これは一巻で終わっている。一巻で終わって、一位を獲得した作品だ。
異国の砂漠の地を舞台にした、ちょっと御伽噺めいた、丁寧な恋愛話だ。よく出来た御伽噺を読んだ時の様に面白かった。
だが、読み終えて、私はむっつりと考えてしまった。
・巻数が短い作品
私は脳味噌が少年漫画だったので、
マンガというのは「30巻とか50巻とか延々と続いて、もうちょっとだけ続くんじゃよとか言われるのがただしいありかた」とか能天気に思い込んでいた。
そして、巻数が短い作品のことをバカにしていた。何故なら、「作品寿命がそこで終わる」ことを意味するからだ。その人物達のその後を僕らは追いかけられない。本が終わっているから。したがって、読みきりとかもバカにしていた。
だが、読みきり作品であれ、短い作品であれ、そこで描かれた人物達の人生はそこからも続く。『春の呪い』の夏美ちゃん達の人生は、2巻が終わってからも続く。『金の国 水の国』の二つの国は、話が終わった後も、様々な人たちの想いと愛を受け取って色んな発展を遂げていくだろう。読者はその余韻を含めて楽しんでいるのだ。
全然悪くないあり方だ、と思った。
というか、そもそも私がエロマンガでやっていることが、それだった。
キミを誘う疼き穴 (エンジェルコミックス)
ビフィダス
エンジェル出版
2017-01-20

読んでね!
いかんせん、読みきりとかそういうのは全然悪くないあり方、なのだろう。
が、
次にこういう考えも浮かんだ。
巻数の短い作品は、『このマンガがすごい○○年』みたいなものに選ばれやすいってことがあるのではないか。
3月のライオンとかハンターハンターとかハイキュー(ハイキューはクッソ面白い。少年漫画で今一番面白いと思ってる)みたいに、長く続いてその都度面白い作品は、逆にこういうランキング企画ではパッとしないだろう。
「○○年に輝いた作品」という謳い文句を作品に冠する営みに、一つの業を感じた。
そして、それを謳い文句にして本を売る、ということの、有限性を感じる。言ってしまえば、こういうランキングで上位に来るというのは漫画作品の評価としては一つの、限られた指標に過ぎないのだ。
が、それでも両作品面白いよ。
そして、こういうランキングには出てこないけど、人の心を掴む作品は、皆の胸にちゃんとあるのだろう。そういう作品を応援するには…なんてことを、考えていた。
・ていねいな作品
 そしてもう一つ。両作品とも、クッソ丁寧だ。
『春の呪い』は、 まだヤングなステップ感がある。
『金の国 水の国』は、恐ろしく丁寧だ。古典的ってくらい丁寧だ。
僕はこの作品を読みながら、『コブラ』のことを考えていた。コブラの単行本での作者コメントで、魔少年BTこと寺沢武一先生がこんなことを言っていた。「SFは古いワインを、新しい樽に詰めるのさ」みたいなことを。 
古いワインが、2017年の一位を取ったのだ。読んでてそう感じた。 
それが何を意味するのかということを、じくじく考えて夜を過ごした。